夜中の散歩

日々の雑感と本の感想とか

読書とお絵かきを続けるために

本読むと鬱になるのは調子崩すような本とか作者の生理が自分に合ってない本でも頑張って元気ないのに読もうとするからではないかと思った。
本読むのも、元気ない時は元気になるような本だけ読もうかな。中原昌也とか、深沢七郎の人生相談とか、人生って空洞?みたいな気分になる本を読むと

なぜか健康に良い。
具合悪い時は良い働きかけだと思えるとか、心に風が通るようだと思った本だけ読む。
面白いとしてもなんかいやな感じがするものは触らないでおいて、読まないと決めるんではなくて、精神的肉体的に余力があるときに回すことにした。

で、以前も調子持ち崩したときに、朦朧としながら中原昌也の書かなければよかったのに日記読んでたのを思い出した。泣かせて笑わせて元気にしてくれようとしてくる本はかったるいんだけどだからって他になんかないのかな…

 

あと、絵を描くときに描いたあとお母さんに批評してもらうの完全にやめることにした。母が専門でデザインとイラストやってたのは80年代でめちゃくちゃ昔だし、私の絵あまり好きじゃないみたいでここが狂ってるみたいな感じで貶してくる。そのアドバイスピンとこないし、写実じゃないからパース狂ってても別にいいと思う本の表紙などの絵を一緒に見てても、足の関節はここがくっつかないと変だ、みたいな素人の意見を言ってるときがある。好きな作家の絵を見せたら、嫌いだと言われた。いろんな絵があるということを理解せず、どんな人が見ても綺麗で上手いし手間がかかってるとわかる絵しか褒めない。家族に褒められようとして絵を続けてもなぁって感じで、早めにまた先生探して絵を習いにいくか。今度は教室で決めずに、この人だったら批評されてもいいと思えるような絵を描く人を吟味しよう。

親が喧嘩してるけど意識的に無視した話

同居の両親が喧嘩している。行くと言ってた用事ドタキャンして母を3時間待たせた父が一方的に悪い喧嘩なんだけど、母の不機嫌にあてられて私はすぐそういう他人の不機嫌が反映される体質なので緊張状態に耐えられず頭痛がしてきてバファリン飲んだ。

仲を取り持つことを意識的に放棄。 

で、母と私がずっと自室に篭ってて、父が全員分弁当買ってきた。父は自分が行くと怒られるから、ちょっと母呼んできて、とさりげなく私を利用しようとする。私は怒った。自分が悪いんだから自分で行って謝れ、勝手に喧嘩しろ、さりげなく私を巻き込むな!

というわけで、階下で母が父をド詰めしてる声が聞こえたが聞かなかったことに。自分を守る正しい対応。パチパチパチ。

金属バットで両親撲殺した浪人生の話を中井久夫の本で読んだのを思い出した。つながりの精神病理と徴候・記憶・外傷にそのエピソードが書いてあった。なんか不仲の両親がずっと彼に伝声管係(父は母に、母は父に直接話しかけずに彼をとおす)ということをさせていて、すごく負担を与えてたのにある時仲直りして彼を勉強しろと二人で団結して叱った、ねぎらいもせず、それで事件が起きたとのことだったと思う。何歳になっても、無自覚に子供を利用し違ったり不機嫌になって愚痴言ったりする親に同情したり、きいてやったり、なのに軽んじられたりという役割を私が誰にも気づかれずに、自分でも気づかずに演じてきたところがある。弟はうまく逃げる。精神二級だけど、親に耐えられなくて私が精神病んだという部分も絶対ある。

親に同情しない、利用されるから。みなさん、いい子供になろうとすると精神にひずみがでるので、どんどんやめていきましょうね!

自覚なく精神的にもたれかかってくる親は永久に反抗期!もしくは無視!

自動くよくよ機能発動

さっき就労支援に行ったら前に座ってた女の人が素敵な格好をしていたから、思わず素敵ですね〜と言った。

そちらもアイシャドウが素敵ですね〜と言われて嬉しかった。

それがきっかけで楽しく大学のこととか、就労支援来てどれくらいかお話して、自己紹介をしあって、気分がハッピーになった。就労支援で友達探そうとは思ってないけど、少し仲良い人ができたら通うの楽しいかも知んないくらいは思っている。

で、就労支援が終わってから、一人で電車を待っている時に、「同性だからっていきなり素敵ですね〜は馴れ馴れしくないか?服褒められてもみるなよ!みたいな感じでウザっと思う人もいるんじゃない?」

「お前すぐ調子に乗って人と会うとハッピーハッピーとか言うけど、向こうもそう思ってるとは限らないから、調子乗るな。」「し、しぬ…今日も人間とのコミュニケーションがよくわからなかった」という自動くよくよ機能が発動されて、テンションが下がった。くよくよして疲れた。サシでちょこっと人と話してこんなんなので、飲み会とか行くともう、バグというか、自動くよくよが大変なことになる。なので行かない。

神田橋條治and坂口恭平曰く、躁鬱の人は言われてないことも察しようと頑張る、人に気を使う、自分をその場に合わせるのが得意、らしい。思い当たる節はある。対策としては、自分の内面を見つめすぎない、言われてないネガティブなことを先回りして想像してくよくよするのをやめること、らしい。それ真似しよう。

まだ誰も何も言ってない、怒られたり相手が嫌そうだったらその話題やめればいいのであって、やたらめったらに人間関係でくよくよすると、また鬱になるよ。

自動くよくよ機能も距離ゼロ人間にならないために必要なのかもしれないが、私のその機能は少々働きすぎている。自分を守る機能で自分を鬱にしてたらそれはバグみたいなものだぞ。自戒。

坂口恭平 『自分の薬をつくる』これは躁鬱人間にはありがたい、みんな買いましょう

前から坂口恭平氏のことは知っていたけれど、同病の変わった人が有名人にいるなー、変わってんなー、とちょっと遠巻きに見ていたところがある。しかし、最近実はあの人はめっちゃすごいんじゃないかと注目し始めた。皆さん、特に躁鬱のみなさん、新刊の『自分の薬をつくる』とnoteでやってる『躁鬱学』https://note.com/kyoheisakaguchi/n/n35a2eb4599f6読んだ方がいいっすよ。

前から思ってたけど、躁鬱の人の生き方についてちゃんと考察されてるものが少なすぎる。というか、ない。ネットで読めるの神田橋條治くらいか。あとは、波を小さくして、薬飲んで、生活リズムを整えろ、みたいな通りいっぺんのことしかどの本にもどのサイトにも書かれていないことが辛くて、ヒントはないか、同病の人はどう暮らしてんのか気になりすぎて、発病当初は当事者が集まる掲示板とかめちゃめちゃ見ていたけれど、暗い気分になるだけであまり意味がなかった。坂口恭平氏の躁鬱語りは参考になる。そういえば私もこういうとこあるわ、こう操縦すればきちんと動くかもしれんのか、なるほど。みたいな。

 

・クオリティを考えない適当なアウトプット、創作などが精神安定に良い

・日程表作る

・躁鬱人間はあっちにフラフラこっちにフラフラが良い

・嫌いなこと、嫌いな人を避ける

 

ウス。

 

私は現在別に死にたくないから電話してないけど、坂口氏の躁鬱とかしんどい人に向けて書いたものは役に立つ。マジ参考になる。坂口氏に直接ありがとう電話入れたくなるくらいだった。あなたの本に出会えて超ハッピー。躁鬱だけど健常者に合わせないとならなくてしんどい思いをしている人には坂口氏の存在自体が薬なんではないかと思う。坂口氏の軽さと明るさ、フットワーク、生命力の強さなどがちょっと自分にもお裾分けされる気さえする。

坂口恭平氏のことをすごいなと思ったきっかけは障害者就労支援の昼休みに本屋行ってたまたま見つけた『幸福な絶望』を読んで、書かれている内容が参考になった2割、全体の雰囲気に気分をかなり軽くされる8割という感じでこの著者の書くものは薬かも知れんなー、と思ったことである。鬱にちょっと傾いていて、本が読めなくて、就職もコロナでヤバいし、焦燥感に駆られていたときでも坂口氏の本は読めた。

いのちの電話は現在めちゃ混んでるらしいし、私に希死念慮はないのでしばらくはエア神田橋條治とエア坂口氏を脳内に召喚してなんとかやっていこうと思う。でも、ほんとに困ったら駆け込み寺的に坂口氏に電話しようと思うだけで、多分かけないけど気分が軽くなる。お守りみたいなものかと。

私は躁鬱一型でバルプロ酸200ミリとエビリファイ12ミリを毎日飲んでいる。2017年めちゃくちゃひどい躁転をして、措置入院して3ヶ月で出てきて、鬱転したけどその後安定、復学して、今年はコロナでリモート授業だけど去年まで大学に通っていた。躁も鬱も少量の薬で予防できていて、バイトもしてるし就労に向けてハロワに行ったり就労支援に行ったりしている。料理、水泳、筋トレ、読書、家事、絵を描く、買い物、散歩、デモ行く、遊びに行く、読書会やったり、NPO参加してすぐ辞めたり、英語やったり、とにかくなんでもやる。疲れて過眠にならない程度に、慌ただしく、毎日フラフラ刺激を取り入れて生きるというのが向いているみたいで躁鬱の波も最近はない。バイトの金使いすぎてる、すぐ服と化粧品と外食と本買うのでパーっと使って遊んじゃう、今月残金が30円ほどしかないが、明日1万くらい入ってくるからまた遊びガネにしてしまう気がしてならない、無駄に電車に乗るのが好きだ、景色見れるし。金使わないで享楽的に過ごすのが目標だけど躁鬱の安定に金と街をフラフラすることはちょっと必要な気がしている。

去年あたりから神田橋條治http://hatakoshi-mhc.jp/kandabasi_goroku.pdfを参考にして行動している。

薬やめたりはしないけど、自分で自分のうまい生活の仕方を考えることは楽しい、みたいな発想は坂口恭平氏とカンダバシから得た。つうかここまで書いたけどこれ感想文になってないな。まぁ読めばわかる。坂口氏の文章には明るいオーラがあるから、気楽になると思うよ。。非躁鬱の人に合わせて真面目にやりすぎて精神が病みかけてる躁鬱の人とかは読むといいと思います。

そうか、これがクオリティを考えない適当なアウトプットか。

ブログ書きもしばらくやってなかった。たまにやるか。では。

 

 

ボディポジティブともちょっと違う

 

自分の体、とくに愛してないなぁ…かといってあまり憎んでもないなぁ…と思った。

感覚としては、お前太ったなぁ!まぁどうでもいいけど…みたいなところがあって、ボディポジティブにも大して乗れないことに気づいた。

そしてその曖昧な状況が割と心地いいのだ。

肉割れ、肉、丸いフォルムを愛する、と表明して

プラスサイズモデルさんが戦っているのを見て、

それって現状の画一的な美の規範を拡張する運動だから、美というものが大事という部分は変わんないし、女にとって体は重大ごとだという規範も変わらない、ということをちょっと思う。

よって、そっちの道も険しそうよ…でも、色々な道を選んで、試行錯誤やってみる人が増えるのはいいことだし、ラファーファは読み応えがあるし、たまに買う。

双極性障害の治療を始めて、18キロ太って標準体重+10キロなのだが、自分の体について考える時間が減った。障害があろうが情緒不安定だろうが、私はそこそこ健康である、シスである、という特権を有しているから体について考える時間を減らせるんでは、ということは心に留めたいけど。

自分を追い詰めて痩せて社会の規範に沿おうとしてた頃も、私綺麗とは思ってたけど、愛すとはまた違ってた、むしろ鞭打ってた。あれは、現状の社会に自分の居場所を作りたかった、安全感を高めたかった、社会を変えないで私を変えたかった、という危ないやり方なのでもう戻りたくないです。

 

庶民的スーパーで働いてると、美の規範からめっちゃ逸脱しても、コーディネートめちゃくちゃでも、普通に楽しそうに生きてるおっさんやおばはんを見る機会が増える。あまり気づいてなかったけど、うちは自分も弟も親も祖父母も、服大好き、レナウン製品大好き、古着も見るし人の体のことにうるさい、全員服めっちゃ持ってる着道楽一族だ。母なんてプロとして服作ってたし、美醜と服と体のことを考えすぎな環境だ。スーパーで働いて、自分や家族のそういった一面をちょっと相対化できた気がする。

我々人類はバカ、過去現在未来、バカ

女性が殺されたりレイプされたりする残酷な事実について言及しているから注意です。

 

 

大学の勉強で西欧世界でのムスリムへの扱いについて調べたり、イランの女性史を読んだりしてるんだけど、この程度のことを考えてればいいってこたぁないだろ…浅慮すぎない?みたいなことが普通に政治に反映されて、その国の全人間が巻き込まれて、酷いと大量に殺される、というのがどの国でもどんな国でもあるし、目眩がする。まあ日本人に言われたかないだろうが。

アルジェリア独立戦争のとき、女性兵士が一方的に見る立場にある、という理由で怒りを買ってヴェールを取られて裸にされて、フランス軍からは見えてもムスリマからは見えないという逆の状況を作るためにわざわざ頭巾を被せられ、レイプされて拷問され殺された、という記述を読んだ。

他にも、今日読んでた本には盲目の女の子がレイプされて、法律にのっとって鞭打ち70回の刑を受けて殺されることに決まり、イランの女性たちが立ち上がってそれを撤回させたという記述があった。
それどんな法律だよ、普段から中井久夫ばかり読んでるから、人間一人助けたり人権を守ったり症状を回復させたりするのにどんだけの手間や複雑なコミュニケーションや治療過程が必要だと思ってるんだ、ふざけんなと思ったりした。

でも一方で立ち上がった女性たちもいるんだよな。

歴史の勉強は真面目にやった方がいい、人間の酷さは一度見といた方が見ないよりいい、人間の崇高さも残酷さも見るべきだと思ってるけど、そういう記述に出会った時どうしたらいいのかわからない。何を言っても大喜利、現実からの搾取では。沈黙だけが正しいのでは。と思っても、その事実を使って卒論を書く(なんか他の人間から搾り取ってない?卒業したいからって、とか思ったり)怖くて誰かに言いたくなってしまい、Twitterに書き込みをしたりしてしまう。本を読んでいる時音楽をかけていたりする。
割れ物は手に持って運べってスピッツが歌っているときに、文革で何千万も人が死んだとか聞かされると、世界がぐにゃりと曲がる感覚に陥る。

世界の捉え方がわからない。
スピッツの作る曲は下らなくないし、穂村弘には怒りがあって、人間はみんなエキセントリックで複雑だと教えてくれる繊細なエネルギーに満ちている、私は何回も救われたし、あれはあれでこの時代のこの場所の命がけの表現だと思うけど、本当に殺されそうになってる人の前では文学や音楽なんて無力じゃん、と思ったり、ねえねえ、そういう問いを持ったらいったん冷静になって岡真里読みかえせ、と自分に対して思ったり。

ところで大学のイスラム史やるとこに入って最初の授業で、宗教の名の下に略奪や強姦をする人って

信仰があるんですか?神を信仰してるって言っとけば免罪されるからそういうふうに言ってるんですか?と先生に聞いたら、信仰してるんでしょう、とさも当然のように言われたけど、そんなに簡単かな。私はまだわからん。先生が信仰というものをそのくらいのレベルで捉えてるならこういう疑問は誰にぶつければ一緒に考えてもらえんだろう、と思った。無理して井筒俊彦の本を学部一年で読んだりしたよ…一般向けのもあってそれは面白かったけど、答えは書いてなかったし基本読めないっす。

あと、飯山陽や中田考がめちゃくちゃなこと言ってムスリムへの偏見ばらまいたり、ISを評価したりしてるけど、日本中東学会が公式に声明を出したりしないのかな。と思ってゼミのせんせいにメール送ったら、私は忙しいのでTwitterはみないし、あなたの研究にも関係ないから、彼らの言説は見なくていいとだけ言われて、ふに落ちなかった。在日コリアンへのヘイトスピーチとかも放っておくと大変なことになったでしょう、あなたは在日ムスリムのことは考えんのか、権威なら仕事してよって思ったけど、関係が悪くなるのが嫌で、せんせいに理解されるとは思えず、向こうが指導と研究でめちゃ忙しいのも知ってるからそれ以上は言えなかった。モヤモヤする。

土屋トカチ監督『アリ地獄天国』‬ ‪横浜シネマリン観てきた‬

‪最終日じゃなくて、レイトショーでまだ上映するみたいです!誤情報を流してすみませんでした…みんなみにいってください!

盛大にネタバレしてるから注意。見てよかった。

人間は最悪にも最高にもなれるんだなぁとつくづく思った。

 

 

 

たかが金のため、働くことなんかに殺される人がいていいはずがない、そして殺すなというメッセージに共感‬しまくった。主人公の営業職だった方が会社と闘ったらシュレッダー係にされてしまったというの、酷…物損出したら自腹って、酷…給料いくらもらえるのかわからないというのも異常だし、私の適当に喋りながらやってる週四で一日八時間のバイトよりシュレッダー係の給料安いのも酷い…

恫喝してくる上の奴らヤバすぎ、部落差別とコリアルーツの人への人事の差別酷い、まともに団交に応じないのも、こんなに明らかにおかしいのに交渉に3年間もかかってるのも…「何が真面目にやってきたからよ」(CM)だよ、労働者から搾取してるから膨れ上がってる悪の巣窟じゃん、マンガの悪役より100倍子どもっぽくて陰湿なことを大の大人が群れをなしてやるんだというところが、人間って底無しに悪くなれるんだなと思って怖かった。(でも知ってる怖さだとも思った。私も滅茶苦茶な運動部での部活生活やバイトを何回も経験している。滅茶苦茶な人権侵害に遭っても適応するように私たちの社会は人間を教育してきているから、それはとっても身近な怖さだ。。)会社前でビラ配りとかマイクで呼びかけとかやってるときに、静かにブラインド越しに撮影していた会社の人間もものすごく不気味だった。撮ってる時何考えてたんだろ。

主人公の男性も、それをサポートするプレカリアートユニオンの人々も、恫喝されても怯まず(私あの場にいたらヘタレだから多分泣いてた)巨大な企業相手にあんな少人数でよく闘ったよな…。

辞めちゃえば簡単、なんて思わないで、倫理的にも許せないし、他の労働者を助けるんだ、という気持ちを持ってたのはほんとにきちんとしている、多分自分が痛い目見ても、許せないものとは闘う、というそういう気持ちを持ってる人が増えたら多分社会は変わる。主人公のお父さんが応援してくれてたのもよかった。(私は長いものに巻かれてうまくやれとしか言えないバカ親のもとで育ったので羨ましかった…。)

映画にしようと思った監督の気持ちも切実で、仕事場のいじめで自死した友人のことを語るところでは涙が出た。

気になったのは、ブラック企業という言葉がプラカとかに無批判に出てたこと。黒い色と悪や劣っている性質を結びつけるのには反対だから、そろそろ新しい言葉考えませんか。

 

ところで、私は「働くことなんて金のため、やりがいなんて見いだして上手く使われたくないから、ダメバイトだと思われてもいいから適当にやるんだ」なんて、普段自分に言い聞かせて生きている。

そう言い聞かせないとついつい労働にやりがいを見いだして真面目に働いてしまうから。そういうのは真面目さではなく、自分の悪癖だと思ってすらいる。(営業のバイトで地域で三番目とかになって表彰されて、給料は一円も増えないのに心の中で少し喜んでしまったり…)。

でも、労働にやりがいとか成長とか自己実現とか求める人がいることも、自分がそういう気持ちを少しは持っていることも、労働というものの多様な面として認めていかないと、働くことと人の尊厳の関係についてうまく考えられないんじゃないかと思った。

労働は悪、労働はなるべくやめよう、ぐうたらダメ人間になろうよ。競争からは積極的に撤退しよ?

それが倫理的な態度です、と私は信じてやまないから、なんか妥協してるというか、矛盾してるけど。

あとは、私はスペックが精神障害者、職歴なし、大学八年生という戦えんのかコレ、という装備でめっちゃ焦ってる求職中の人間なんだけど、世の中にはクソ企業も違法企業も差別企業もたくさんあるから、入社時に非常識なこととか、法律で聞いてはいけない家族のこととか、セクハラとかされたりしたら蹴ろうっと、と思った。殺されたくない!あとユニオン入ろうっと。