夜中の散歩

いじめについて考えている

完全に信じきれずにカウンセリングに通う日々

・カウンセラーさんが転勤でいなくなってしまう。そのことを知らされたのは今日で、

面接はあと5回で終了だ。

その後はカウンセリングは継続するが、担当の人は変わる。

次の担当の人も女性の方をお願いしたい、できたらジェンダーや貧困、労働問題などに知識がある方、とリクエストした。そしたら、カウンセラー同士でやりとりするのは引き継ぎの時くらいだし、相談室のスタッフは

カウンセラーの特性をほぼ理解していないから、女性、というところ以外はどういう人が担当になるかはわからない、とのこと。それは明らかに大学の相談室の仕組みの欠陥だなぁ、要望書出そうかしら。先が思いやられるわ。

・カウンセラーさんには、わたしがどう自分を調整したって抑圧も差別構造もなくならないわけで、自分と向き合う、なんて方法をこれから何回試しても生きづらさは変わらないんではないか?と疑問をぶつけた。

そしたら、キャパシティを広げることだ、傷付くのは傷つくにしてもそのことで潰れないようにして、できることやいける場所を増やせるようにしていくことだ、とのこと。

なるほどなぁ。でもそうやって生きている自分の具体的イメージがうまく思い描けない。

動物保護のボランティア先で、もっと若い女が来るのかと思った、と侮辱されたりとか、

介護の仕事でセクハラされたりとかレストランのバイトで怒鳴られて給料未払いにされたりとかさ、理不尽理不尽また理不尽な社会的弱者ライフを内側からやってくる心の強さだけで渡っていけるんだろうか。

また、カウンセラーさんがわたしよりジェンダーや労働問題について詳しくないのが引っかかる。

クライアントが苦しめられている社会からの抑圧の正体をうまく把握していない場合、クライアントの苦しみを、本人の特殊なこだわりか何かだと解釈して本人の問題だとしてしまったりする危険があるんではないだろうか。社会構造の問題はわたしにはどうしようもできないから、あなたの心に働きかける、とカウンセラーさんに言われて、私の中では外部化、社会化?

できてきた問題をまた私の問題、私の責任、に帰されたらたまらないなと思った。自分を変節し、強制収容所に適応せよ、と言われている気持ちになる。