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夜中の散歩

いじめについて考えている

役に立たなくても生きてていいということと役に立つっていったいどういう意味なんだ

だめならだめなりに、だめな個体にはだめな個体としてのロールが何かあるんじゃないかと思っていた。

それは実際にあるかもしれない。

生きづらさを感じない人には見えないような抑圧に気づくことがあるかもしれないし、余裕があったら声も上げられるかもしれない。

でも誰だって私だって役に立たなくても生きてていい。

最近思ったことがあって、社会や人の役に立たなければいけない、みたいな強固な刷り込みが私にはあったけど、その場合の人って言葉には実体がないし、空白だ。

社会の役に立ちたいとかじゃなくそれがよいものであれ悪いものであれ金の流れやものの生産やとにかく何かを動かすことに自分が関わることで力の感覚を得たいだけだった。

それから学生や無職のような二級市民ではなく、経済に参加してる身分の人間だよと他人にも自分にも自分を認めさせたい、そんな願望は醜いのに、それを持っていることに意識的になることさえなく暮らしてきた。

ちょっとそれはまずいんでないかい。

あと、役に立つ人とはいったいどんな感じのどういうなんなんだろう。社会では、ざっくりと、生産性が高い個体のことだけ役に立つと呼んでいるのではないかなーと思う。あ、でも、パワハラで何人も潰して辞めさせているのに、その人の業績はあるからと、生産性高い人として高評価を受けている人も前の職場にはいた。全体で考えるとその人を置いておくことは一人あまり仕事ができない人を置いておくことよりはるかにその組織全体でのスタッフをいつかせなくさせてるし、儲けを損なってるのに、その組織の偉い人の中でその人が問題になることは少なかった。

損得の問題を超えて、パワハラ加害親和的で仕事をとにかくバリバリやってる人に対するなんかカッコイイ!レベルの信仰がある気がする。

企業で労働に従事することの他に

家事労働やケアワークなどで影の労働をしている人もいて

あとは、ジャンル分けされてない役に立ち方をしている人がたくさんいてそういう人の恩恵を受けることもたくさんある。

もう亡くなった人の言葉に生きてる人間が勝手に勇気付けられることもあるし

いるだけでなんとなく場を和ませる人もいるしだれかのだめっぷりが 誰かを一人にしないこともあるかもしれないし

あとは、漫画家の山田花子の日常生活の苦しいポイントについて細かくびっしり描かれた救いのない漫画を読んでいて、すごくあるあるあるあるあると思うことがあり、苦しいと思う人は私だけじゃなかった、私以外から見てもこの世は地獄だったんだ、と思って、ふと救われる気分になることがある。

山田さんは喫茶店のバイトで役に立たなかったかもしれないし男女の関係での女のジェンダーロールを果たすには不器用すぎて役に立たなかったかもしれないし、その2つで役に立たなかったら世の中ではかなりピンチになるしかなかっただろうけど彼女の漫画は私の役にはすごく立ってるんだよ彼女は知らないだろうけど

というか役に立ってる、の範囲や意味を広げていったら、まったく役に立ってない状態の人なんかこの世にいないんじゃないのか。どんなに体悪くても引きこもってても誰かとは近くや遠くで関係を持っている、いたから

役に立たなくていいし、役に立ってもいいし、役に立ちたくてもいいし、役に立ってなくても実は自分の知らないところで役に立ってるかもしれないし 、こっちから見ると役に立ってる人はよそから見たらひどい迷惑かもしれないし 誰がどこにどう作用してるかはだれにもわからない