夜中の散歩

いじめについて考えている

日々の雑感

私は私のギリギリさを常に抱えながら自分の置かれた状況に対峙している

常に言葉がいる

誰かと比べてお前は恵まれているなんて言うのはやめて欲しい、口を塞ぎたいだけじゃないのか?死にたいなんて言うことでしか辛さを表現できないことがもどかしい、罠に絡め取られていると思う

死以外の言葉でこの状況の大変さを表現したいのに

言葉は出てこないがせめてそう言いたい

でも私は日本の中産階級に生まれた日本国籍の健常者のシスジェンダーの目でしか世界を見られないかもしれない

意識の死角はどこなのか常に脅えている

私が美しいと思ったり心を撃ち抜かれたと思ったものは虐殺されそうだったり権力に閉じ込められて暴力を振るわれ、じわじわと、または急速に壊されていく人々にとって無価値かもしれない

どの時代の世界のどの場所に置いても輝きが失せない価値なんかない


最近は虐殺のことや大量殺人のことについて考えようとしているが感情が湧かない

そういった現実は確かに隣にあるし自分がそこに置かれていないのはたまたまだ

なのにそれにリアリティを感じられないこと、そういった現実を知っても、知っただけだ、それらが心に触れないことが怖い


人間は環境に規定されてるだけの空洞

何に感動して何を美しいと思うか、何を悪いことだと思うかを自分では選べない


「人は場所だ」と思った

場所の力に影響を受けて変形しつつもなんとか場所を相対化しようとする

その相対化運動も結局場所の一部かもしれない


ひどい殺人が起きたとして

加害者は

分岐があってその先も分岐があってコントロールできないものに足を動かされて辿って行って気付いたら知らないところにいた

細かくて辿れないとしても因果の結果だ

生きてる限りみんな記憶と経験に歪められ、規定されながらどこかへ運ばれることしかできないのかな



怖い