夜中の散歩

いじめについて考えている

これを持っていたら幸せだとされる記号をいっぱい集めても必ずしも幸せになれるわけじゃない

心身や体調をおかしくしながら

自分を歪めるような適応のための努力をして学校へ通ったり仕事したりしている人はいくらでもいる

職業がセックスワークだったらどんなに向いていて楽しく働いていても

その人は不幸で

学校生活でいじめに遭って自殺未遂をしたとしても、薬を服用して精神医療のお世話になりながらでも学校へ通えていて成績がよければ幸せだとするモノサシ

それは、体感は関係ない、社会的承認がすべてだという価値観が生んだもの

あと、今とかどうでもいいから、とにかく良い学校、良い企業、安定を第一に考えて、お金と快楽を得るのが人間の幸せですという価値観も関わっている

学校も職業もわたしの魂と関係ない

私が熱心に考えてるのは、人はどうやって小さい人間関係のなかのパワーゲームに溺れて行くのか、とかどうしたら同調圧力に縛られないで自由になれるか、とかそういうことだし、

小説読むこととか音楽聞くことはわたしの人生と関係あるけど学歴とかもてるもてないとか関係ない、それはただの数字みたいなもので、

どうせいずれ失うし、この社会から一歩でも出たら意味がなくなるようなものだ

そんなものに自分を賭けてもどうしようもない

学歴を得ることって税金払うことと同じだよな、税金払うために生きてるわけではない

なのにわたし本体がぶっこわれてるのを無視して、学校行け、とか就職しろとか正論らしき、でも思考停止した言葉だけを言う親の頭ってどうなってたのか

変な死に方してもお金なくなってもいいし他人にバカにされてもいいから

自分を変節させてまで嫌いな価値観に媚びたくない

ちょっと前にゴーンガールという映画観たけど、あれも素晴らしい娘とか良い妻とか役割を演じさせられつづけたちょっと見リア充っぽい女が、キレて犯罪おかす話だった

それくらい、自分は自分を生きてないって思うことがもたらす絶望って深い

お金がそれだけで価値を持つと錯覚してしまうこととか学校がそこに通う人より大事だと思ってしまうこととか

結婚した、とか金がある、とか記号的なものを幸せの印だと思い込むこととかを、全部やめなくては

まあ、自分一人がそういうのから自由になろうとしても、身内とか親しい人がわたしのことを私とは関係ない世間の尺度ではかることはよくあることだ

。ぜつぼう。

内田春菊が漫画のあとがきで、恋人とか友達が、私を週刊紙みたいなレッテルはって見ていると思ったときのショックと来たらって書いてた

内田春菊はとても繊細だと思った