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夜中の散歩

いじめについて考えている

よりましな嘘を作っては壊す

・書くことや話すことで嘘が生まれる。生育歴や暴力被害体験なんかとてもじゃないけど時系列に沿って整理してかたれるようなものじゃないのに、

重すぎて持ちきれない、孤独すぎるから他人に共有してほしいなんて願望を抱いてしまったがために

断片的で感情的な、自分の心のなかに保持してる記憶そのものに近いかたちだと他人にわかってもらえないだろ、じゃあなるべくわかりやすくしゃべるからわかってくれ、という意図のために色々漂白して語ってる。

ぎぼぢわるい…もやっどじまぐる…

。だいたいそのときは本当のことを言ったと思っても、あとになって、こりゃちがうぞってなったりもするじゃない、作っては壊し作っては壊して自分の心のなかでストーリーを構築することは必要でも、紙に書いたり誰かに話したりしてストーリーを固定させたり定着させることはもう一段マッチョな行為に思える。やった方が精神落ち着くけど。しかしかたりは古くなるし…昔言ったことが今の自分を縛ってしまう鎖になったりもするじゃないか。

・でも、自分のも含めて誰の言い分も世界観も所詮は虚構だから、全部偽史、唯一の客観的なほんとうの過去とか歴史なんてモノはない、自分は絶対ではない、と理解した上で、カウンセリングとか日記とかブログとか手紙とかの上で、主観的な語りを大切にするのと、自分の膜のストーリーのみを絶対だと確信し続け、他人をぶちこんで操作しようとする人のやってること(毒親とかいじめっこ)の間には

違いがある。私は、私のかたりに毒な誰かを巻き込んで変形させようとは思ってない、離れたいだけ。

・私は他人の物語に操られて書き込み自由な存在として便利に扱われてきた。私が弱い立場だからって舐めて好き勝手なこと書きこむな、声を返せ。って、言いたいなと思う一方で他人のことを規定したり嘘をついたりしてる気がして大変居心地が悪い。が

権力に見られてるわたしだって権力を見返してるのなんか当たり前だよな…

どっちがどっちを見ているか、自分も見られてるって権力の側にある人こそ、考えてみたほうがいいよな

あーでもな

自分は見てジャッジするがわでしかなく、他者からの目線でジャッジされてるとかんがえなくてよいことこそ権力にあるってことなんだから、考えないか。他人の目線を考慮せよと言われるのは常に弱い立場のものだな。客観的じゃない、という言葉は追い詰められた人の口封じるためのほうべんかも。追い詰めてる側の歪みは放置してるくせに。

鬱。

田中美津さんのいのちの女たちへ面白ー…今読んでる。反権力のはずの男が女のことは抑圧してて、気づいてもないって今も同じじゃねーか、

何十年同じことをやっているのか。

気が遠くなりました。