夜中の散歩

いじめについて考えている

怪物、看守、傍観者たち

・怪物のいる檻に閉じ込められたら

怪物より看守を憎んでしまう。

看守の人間性に期待をすればするだけ裏切られたときの絶望が深い。

あらゆる傍観者が怪物の入った檻の看守だったわけで、とくに親や教師は私が脱走しようとしたら中に蹴りいれた。

むかし、親に、なんで私がいじめに遭っても見殺しにしたの、保護者の義務を果たしてないねと詰めよったら、私じゃなくていじめたやつに文句をいえ、なんで親に八つ当たりをしているんだと言い返されたことがある。私が学校で暴力にあって身体を暴力で壊されたとして、法に問われるのは暴力を振るった人間だろうけど、そういうことが起こりうるところだとわかっていて閉じ込めていたのは親なので、心情的には悪いのは親だと思ってしまう。

・私がいじめ被害に遭ったとき、生徒の中にいた、昔友達だった、善意のいじめ傍観者?が、授業中にノートをちぎって手紙をくれたことがある。「最近大丈夫?」みたいな、一応はこちらを心配してくれている内容で、「今年は人間関係の波に乗れなかった、私はしくじりました」とか書いて返した。またその紙が返ってきて、「来年は大丈夫だよ、あなたは努力家だから」って書いてあった。あなた、じゃないや。その手紙のなかだけ、いじめに遭う前まで(いじめにあってからはみんなからさん付けで呼ばれた)使われてた私のあだ名で呼ばれたから、感情を揺さぶられたんだそういえば。そんな細かいことを覚えているのがつらいな。で、

そのやりとりを人に見られたら彼女の立場は多少危うくなったかもしれないが、彼女は結局は自分の立場をあきらめてまで

危険を冒して檻を叩き壊す努力を一緒にしてくれたわけではない。傍観する罪悪感を減らしたかったのかなと思う。それだけならその子は良くも悪くもないが便乗する人より少しだけましな人だったかもしれない。

でも私ではない人へのいじめにはノリノリで荷担していた彼女のことも見てたから、複雑な心境だった。(いじめと自覚せず無邪気に地味な男女をバカにするタイプ)。

好きだからいじめないとか嫌いなやつはいじめていい、ってきまぐれに人いじめたりいじめなかったりする人って結局のところいじめ自体を否定してるわけじゃないんだよなー。

なんか、レイシズムにアンチを唱えつつ女性を差別する人は差別そのものを憎んでる訳じゃなくて徒党を組んだ仲間とか政治的に使えそうなマイノリティだけを助けようとする=マイノリティを分断して良いと思ってるわけで結局権力の側にあるんだってことに似てる。

・派手にいじめられたときより、一度もしゃべったこと無い大人しい男子が、席替えで私が隣になったのを見て、舌打ちして、仲間に目配せをして嗤ったのを見たときのほうが嫌な記憶として印象に残っている。権力関係をよく見ておいて、こいつはいじめてもいいやつだ、と判断したら、特に理由はないけど楽しいし得だからとりあえず軽く見下そう、的な。悪意の傍観者は本当に気持ち悪い。半笑いでしたうちされるくらいなら殴られた方がマシだとすら思った。でも、やりすぎて警察来るようなことも自分の身が危険だからやらないんだよね。

本当にぞっとしたなあ。