夜中の散歩

いじめについて考えている

不登校を治す←気持ち悪い言葉

不登校を治すという文言を見ると吐きそうになる。不登校の子供をモンスター扱いしているからそんな一方的なことが言えるのだ。子供を判断力や

感受性がある個人として尊重してない感じ。自分の立場を一切疑わずに、

自分の正しさの基準から漏れたやつをすべて病的とする感じ。不登校が心の問題だということも環境の問題だということもなくて、二つにくっきり別れてるわけでもない多くはその混合物だろうけど、不登校を治すという言葉には、社会や環境から目をそらさせて個人の心の問題にすり替える気味の悪さがある。

学校環境に特に問題はなくて、本人が行きたいのに行けないというような心の問題があるならカウンセリングや精神科へ行ったら良いし、それから本当はいきたくなかった、とか環境に問題が実はあった、とかこうすれば行けるかも知れない、とか大人が一緒に考えるべき。心の問題だと思っていたことが実は環境の問題だと言うことはよくある。

学校に行く意味が無いと感じてるなら他の学習機関に行くか自宅で勉強するかという選択肢があるし、

学校にいじめや学級崩壊などの問題が

あるなら、生徒ではなくて学校を直す

ことが求められる。

一人一人がどういう理由で不登校になったのか考えてどう解決すれば当事者のためになるかという観点をもつべき。

学校は無びゅうだから、そこからこぼれたら有無を言わさず悪と断定して子供を無理矢理な登校刺激を与えて引きずって学校に連れていって安心?

そういう発想する人は、学校は部分に分けられる社会的な機能だということがわからなくなっている。そういう人の頭のなかでは学校そのものが権威になってしまっている。学校という宗教に帰依している感じ。国でも企業でも家族でもなんでも良いのかもしれないけど、個人を痛め付ける共同体なんか信じてもどうにもならないから出てかないと行けないのに。