読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

夜中の散歩

いじめについて考えている

いじめで自殺するくらいなら逃げろって言うけどさぁ

いじめで死ぬくらいなら逃げろ、逃げられるなら。でも逃げたあとどうやって生きていこうか…

果たして自殺するいじめ被害者は、いじめで死ぬか学校から逃げるか、の選択肢を立てて死を選んでいるんだろうか?暴力に耐えて生きるか、不登校になることで社会的に死ぬかという問いの果てに、にっちもさっちもいかなくなって死ぬしかなくなるということはないのか。実際逃げても死ぬしかなくなるわけではないんだけど。

しかし学校の人間関係から逃れて不登校に追い込まれたら、

家族から理解を得られなくて

殴る蹴るの暴行を加えられて(社会の学校化で家庭までもが戸塚ヨットスクールに…教室の40人の小さい世界からこぼれたはずが、教室の外も教室の価値観を共有している人間だらけだと言うことがよくわかったよ。教室と戦うとき、教室だけが敵ではないのよ。)

自殺したくなるくらいの孤独を味わった私としては、子供に逃げろと言うことで何らかの手段を提示したと思える人は、ちょっと甘いとしか思えない。

逃げろと言うことは必要だけど、子供が逃げるために何を犠牲にしないといけないか、あと子供を学校から逃げられなくさせてる力は学校の外部からも働いているということを同時に考えないとダメじゃね。

家庭と本人によっぽどリソース無いと

不登校はイバラの道である。

お金と親の理解と代替的な学習環境と学力と支援期間につながること、

このどれが欠けても修羅。

わたしの場合、親の理解だけが足りてなかったけど他は恵まれていたのだな

と言わざるを得ない。理解以外はある程度金で買えるんだよ。

金で買ってもらった下駄があるから

精神病んでも中高行ってなくても大学来られたとしか思えんよ。努力もしたけど私大だから三教科できれば入れるしね。義務教育が機能してないと不平等むき出しだよね。

まあ親が競争原理の中でそこそこうまくやってる、学歴高くて金のある親って学校からの落ちこぼれに対して不寛容だったりするんじゃないのか?金があっても理解がないってよくあることだろうな。

あと学校通ってても荒れてたら授業できないから勉強できないし、通ってたら解決、逃げたら解決、もどっちも自己責任論の嘘で、当事者がゲリラ的にどうあがいたってどっちにしろ困難を負うだけなんで、機能してない教育システムを疑うしかないんだけど、システムなんかすぐに変わらないから誰もシステムを批判したりはしないよね。鬱。

当事者ばっかりを見つめてもなんも変わんないのだよ。

学校から逃げたあとの困難

①逃げたあと不登校であるということでスティグマを負わされる

②学校から排除されると

体は家庭に閉じ込められるのに

不登校に理解を得られない場合精神的には家庭からも排除される

③受験でのハンデにつながる

④無料の学習機関を失う

⑤悪い人間関係から逃げる代わりに良い人間関係も失う

⑥学区外の塾に通う金、塾の人に理解されるために事情を詳細に説明する労力(メンタルに来る)

今思い付いただけでもこんだけある。

つら。

「自分さえ耐えれば大丈夫」「自分が悪い」自己差別してでも暴力振るってくる共同体にとどまろうとする子供があとをたたないのはこの逃げられない状況があるからだ。

逃げろって簡単にいう大人は

パワハラ受けたら会社からすぐ逃げられるか、逃げて職失っても家族は味方でいてくれるのか、考えてみてほしい。子供の社会に投影して敵を叩いてるだけじゃないの?とはいえ逃げるしかなくなったら逃げるしかないんだけど。(記事のはじめにもどる。)