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夜中の散歩

いじめについて考えている

保坂和志のエッセイ読んだんだけど、ところで構造的暴力のなかで個人はどこまで良心に従えるの

作家の保坂和志が、考える練習というエッセイで、テレビで

虐殺に加担したBC級の戦犯へのインタビューを見て、上官の命令に背いたら自分がやられていたから仕方なかったって戦犯(おじいさん)が答えるのを見て、自分が殺されるとわかっても蜂起する、とか殺されても殺さないって選択肢もあったことを誰も頭に浮かべていない、おじいさん、インタビュアー、視聴者の誰も。それはおかしい、自分の命が一番大事だって発想を誰も疑わないのだ。って指摘してて、

ここで譲ったら、肯定的な意志を持つ人の伝統がダメになる、負けても立ち向かうって考え方だってあるんだよって言ってた。

私は保坂のこの文を読んでぎょっとした。

同じ番組を見ていても、私は保坂みたいな発想をしなかったかも。そんな状況を作ったやつが悪いんだ、倫理とかって、極限状態になる前に考えられるべきもので、極限状態でどう振る舞うかなんてそこに置かれた訳じゃない人間には言えないよ、とか言って、無難にお茶濁しそう。でももし社会の主流が、自分が死のうが傷付こうが共同体が間違ってたら外に出るんだって人だらけだったら、戦争もいじめも起こらない。良心への不正をして自分を生き延びさせることの延長に殺戮も暴力も待っているのか?