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夜中の散歩

いじめについて考えている

いじめの構造はいじめ被害者への差別を再生産、いじめ被害者への差別は新たないじめを再生産

ブラック部活でいじめに遭ったとき、(この部活に関してはまた書く。いじめ、成果主義、やめられない、病欠禁止、暴力、上下関係、密すぎる人間関係などなど

ひでえにもほどがあるのだ。ブラック企業のエキスというか…あ、部活って社畜養成施設なんだな。と絶望する。)

私をいじめていた女の子、(以下Y)が

「名前ちゃんは小学生の頃いじめられて、それが原因でこちらに越してきた。よそ者だし、性格にも問題があるから付き合わない方が良い」

とわざわざ私の友達、それも部活関係ない人(私とYの共通の知人)に言いふらして部活外でも孤立させようと画策していた。

(中井久夫アリアドネからの糸収録「いじめの政治学」で出てきたいじめの3段階のひとつめ、孤立化作戦、ですね)

これはデマで、しかし、私が小学生の頃転校してその地域に来たというところだけ本当で、本当とデマの調合具合がリアルで、どこかで私のことをよく知っている、出身小学校同じやつかなにかからリサーチしただろ、なぜそんなに私に関心もって粘着するのか、と薄気味悪く思った。というか、そんなやついるんだ、と驚愕した。なにしろ恨みを買うようなことは何一つしていない。(理不尽な奴、虚言、モラハラ、など変なやつにはそれから先も遭遇したけれど、集中攻撃でそこまで能動的に悪意を剥き出しにしてきたのは彼女だけかも)

(あ、ネトストとかでは珍しくないか…ネットって悪意を持った人間を可視にしますね)

彼女がデマを言いふらしていることは、友達に、Yと言う子と同じクラスなんだけど、こんなこと言ってたよ、と知らされて発覚した。

Yのことを別の友人に話したら、Yこそ小学生の頃いじめられていたよ、今はいじめるがわに回っているけど、と聞かされて、ぞっとした。

その後、私は部活の途中入部の人やら男子やらとつるみだし、孤立することはなくなり、Yは私をいじめるのをやめた。私の特性が嫌でいじめていたのではなく、単にいじめやすかったからいじめただけで、やりづらくなったらあっさり手を引き、他にターゲットを移していじめを続行し、私は一緒にあいつをいじめよう、などと何度も勧誘された。誘いには乗らなかったけど、教師にちくっても相手にされなかったのでYのいじめはエスカレートした。Yは教師に取り入るのが上手かった。Yはいじめる相手を何度も変え、昨日までいじめていた相手を突然仲間に引き入れたり、昨日までの仲間を突然いじめたり、ということを繰り返していた。いじめに依存した中毒者だった。その後Yに怨みを抱えた誰かが学校裏サイトにYにたいする誹

謗中傷を書き込むようになり、(私的制裁ダメ。でも教師が無力だから横行。)お前裏サイトに書かれてるよ、嫌われてるんじゃない、と直接と告げたやつが表れ、(そいつも人格に問題があった。教師や生徒を何人も潰している生徒。)居づらくなったのか、Yは部活を辞めていった。

私はいじめにあっていじめ的な価値観を内面化したけれど、Yほど完璧に冒されはしなかったから、他人をいじめることはなかった。見殺しにしたことはあった。教師にいじめをどうにかしろと言って教師に無視されたりもした。

Yにたいして気持ち悪い、お前のことなんか考えてやる義理はない、と思う一方で、Yがかつてのいじめ被害者だったというところにやりきれなさを感じる。Yは私がいじめられていた、という捏造をばらまいたけれど、

Yがいじめ被害経験がある人で、その自分を深く蔑視していないと、こういう話をばらまこう、ばらまかれた相手は苦痛を感じるだろう、と考えることは無かったんじゃないかと思う。虐待やいじめの連鎖って、被害当事者の加害者の論理の内面化と自己差別、自己蔑視から起こるんじゃなかろうか。

あとYは怖かったんじゃないか、また被害に遭うのも、孤立するのも、自分が弱いことも。だから、いじめという間違った強さを武器にすればサバイバルできると思ってしまったのではないか。しかもそれはしばらくの間成功してしまったし、実際いじめが蔓延する場所で、大人が誰も助けてくれないときには、効率のよい生き延びかたなんではないか。他人を傷つけること、人間不信、自己不信、孤立しない代わりに孤独になること、自分を失うことなど、ツケはあまりにもでかいけれど。

生き延びることと生きることは違う。

生き延びる代わりにゾンビになってしまったり、生きるために良心に従ったら命の安全を失ったりする。

ところで、いじめ以外の暴力、

性的加害にもDVにも被害者非難や二次加害はつきまとうし、被害経験が

スティグマ化されることも無くならないけれど、さすがにレイプされっ子とかセクハラされっ子とか殴られっ子なんて言葉はないのに、

いじめられっ子という言葉は無くならない。はっきりと差別的だろう。いじめ被害の破壊性を舐めてるし、子供への蔑視も含んでるし、いじめられるような特性を持ったやつがいじめ被害に遭うからいじめという現象が起こるって誤解に基づいた、いじめ被害者へのラベリングだし、被害者責任を問うための言葉だし、使わない方がいいよ…

わたしはこれまでいじめの加害を武勇伝として語る人に何人も会ったし、ロキノン小山田圭吾のインタビューだって許される社会だし、

いじめって、加害者は世間に味方されるしスティグマなんか負わないのに、被害者はとてつもなくバカにされるという非対称がすごい。

加害者が軽蔑される社会なら、被害者が加害者になって、また被害者が加害者になって、のループってこんなにひどくなる前にたちきられてるんじゃないのか。

構造があるからって中の個人が責任を負わなくて良いわけではないし、私はYやYに流された人を憎むけれど、いじめって構造を変えないと、個人では解決しようが無い。