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夜中の散歩

いじめについて考えている

いじめより、善人面でいじめを許すやつが、許せん

中学のいじめにまつわる体験で、私は一体何に一番腹立つ?と自問自答をしてみたら、もちろん蹴られたし孤立したしいじめられたのも辛かったは辛かったけど、

いじめ被害自体はいじめ被害後の二次被害三次被害に比べたらあんまり辛くなかったと言う結論が出た。

隙あらば人をいじめてくるような貧しい不幸なバカ=ハエとか菌

に暴力振るわれて一瞬はショックを受けても、意外とコアはダメージ負わないものです(あくまで私の場合か)。むしろいじめを許容し被害者に負担を強いる周囲の大人とか直接手を下さないがいじめはいじめられる方が悪いとか言えちゃう傍観者への強烈な怒りの方が酷いな…負わされたダメージの深度と重さと長続きっぷりも半端ない。その人らの内面への期待値高いからだろうな。構造的暴力外からがっつり固めてんのは普通の顔して生きてる人間。

いじめができる奴のことは諦めてるから、どこかのタイミングで更生して、振り替えって罪の意識を抱え続けて苦しみながら生きててくれてたら、あっさり許しちゃいそうだ。おおハエ菌から人間になれたか。めでたい。君が君を許せないなら、私は君を許すよ

的な。いじめ加害を武勇伝にしてたり、忘れてたり、苦しんでなかったら許さないけど、そんでもわくのはやっぱハエ菌死ね、ぼけみたいなシンプルで直線的な怒りだな…愛憎無いからその怒りは持っててもあんま苦しくない。

漫画家の田房永子先生が、痴漢にもムカつくが痴漢について何の説明もできずに女子高生を無防備に被害に遭わせ続けた痴漢を許す周囲の大人にすごくムカつくと言うことを著書に書いていた。たしか女子高育ちのアンソロジー漫画。わかる。わたし、痴漢とかいじめ平然と行える加害者を同じ人間だと思ってないのだ。菌とかハエだと思ってる。

痴漢もいじめも許す周囲の人間があってこそ蔓延するハエとか菌の大発生で、ハエとか菌に殺されたりしたらたまんないからハエとか菌ももちろん憎むんだけど、ハエ菌に与して私のことハエ菌に差し出した親とか友達=人間の仲間だと思ってた

にはそれより数段上の複雑な怨恨があるな。愛していたのに裏切ったな、的な。

構造と制度と傍観者の無知と偏見がハエ菌をバックアップしてるから起きたひどいもろもろ、いじめ自体より許せない