夜中の散歩

いじめについて考えている

いじめ被害者によるいじめ被害者差別(自己差別含む)の問題は相当根深い

少し前に、いじめ被害者の人と、お互いに自らのいじめ被害体験についてどう捉えているかという話題でやりとりする機会があった。

やりとりをするうちに、その人がかなりいじめる側の論理、というかいじめを正当化する屁理屈の内面化が激しい人だということがわかり、少したって接触をやめた。その人いわく、いじめられるやつというのはほとんどみんながクズなんだよ、クズだからいじめられる。

どんな綺麗事を言っても強くなるしかないし変わろうとしないならそいつはクズ。

私はそれを聞いて、あなたの意見に賛成できない、クズはいじめる側だろうと言った。あと被害経験があるからって他の被害者を巻き添えにして貶めることが許されるわけじゃない。あなたがあなたを貶めるような考えを持つことは、止められないが賛成できない。

いじめの被害者が責任を負うのは変

いじめは構造の問題。とも言った。

そしたら、

強くて賢いから浮いた君みたいな奴とか原因なくいじめられた自業自得じゃないかわいそうなやつはいじめられるタイプの奴の中のマジョリティではない。

(勝手に相手を強者に設定して誉めるふりしつつお前は普通じゃない、と排除する巧妙なやり口)

普通のいじめられる奴はあくまでクズ。というようなことばを返された。

あと、きみは若いから社会が変えられるなんて理想を持ってるけど実際

いろんな不条理は自己責任で解決してくしかない、とも言われた。

その人のなかには、いじめられる人間は

クズだ、という幻想が根付いていて

少し揺さぶっただけではどうにもなりそうになかった。

あなたを損なう共同体に馴染むために自尊心を捨てることなんかないよ

なにも克服しなくたって弱いまま生きてていいんだよ、自分のことクズなんて言わないで、周りの人も悲しいよ、周りに誰もいないなら取りあえず私が悲しい

残念ながらいじめられ当時誰も言ってくれなかったから私がしょうがなく自分に自分で言ってる言葉を投げ掛けたくなったが、やめた。

その人が自分の経験を自分の心の中でどう位置付けているかなんて赤の他人がとやかく言うことじゃないな

その人の歴史を否定するな

私からしたら歪んだ体験加工に見える

その物語を手放さないことでその人はこれからも傷付いていくと思う

でもその物語がその人を守ってた時もあったかもしれない(どうしても脱出できない共同体に閉じ込められて、周囲の価値観に適応するために合理化と抑圧への理由付けが必要だった?)

間違ってると思っても責任とれないなら人のことを変えようとするな

それは暴力だ

いくら他人事とは思えなくてもしょせんすべては他人事なんだから、合わないと思ったら離れろ。と自分に言い聞かせた。

別に強くありません、あなたが弱いわけでもありません、年は関係ありません、同じいじめ被害者同士なのに若い、若くない、普通、普通じゃないなどの分断はやめてくれ、あなたのいじめについての考えはあなたにとって良くないものだと思うから共感はできないけどあなたの考えだから

私にはどうしようもない、でも被害に遭って、自分のことをクズなんて言うのは相手の思うつぼじゃないの、

あと他の被害者を巻き込んでクズと呼ぶのはやめて、と最後にまた言った。

その人は最後まで、いじめられるような奴はクズなんだよ、君がクズじゃないとしたら普通のいじめられた人間ではないんだ、と私を説得しようとし続けた。平行線。