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夜中の散歩

いじめについて考えている

私はいじめに遭ってから強くなった←私はいじめに遭えて幸せです、に誤読しないでね

私はいじめ被害に遭って様々なものを失った。そして得た。いじめになんて

遭いたくなかった、遭う前に戻りたい、でも現実には、良くも悪くもこれから先いじめられたことがある人の生しか生きられない。その生の過程で

いじめをする人間の価値観を内面から抜いていく精神的な作業、カウンセリングとか読書、暴力や同調圧力の問題について考えることを繰り返して私は確実に賢くなって強くなった。

何年かかけていじめについて考えてくうちに、私の内面にサバイバーズプライドのようなものが芽生えてきた。今はそのプライドをフィルターにして世間を見ている。私はいじめに遭いたくなかった、いじめに遭って強くなった、いじめた人間のことを許さないしずっと怒っている。

矛盾するようで矛盾しないこの複雑な色々を人に誤解されずに説明することってなんて難しいんだろう。

ツイッターとかで、ひとことぽんっと

「私はいじめられて強くなった」と書くのは危険だ。

加害者や加害者寄りの思考の人々が見て、おうおういじめられた奴が感謝してるよ、しばかれて強くなったって、

私ら世間を教えてやったんであって悪いことなんかしてないよほら

みたいな解釈したら地獄だからだ。

麦踏み神話的な話(だからあなたも生き抜いて、いじめられっ子のチャンピオンベルトみたいな)に誤読されたらたまらない。

むしろ私が得た強さって、

踏まれて強くなるとか悪意や憎悪に揉まれて世の不条理についての学習をすることが通過儀礼とかいう

社会に埋め込まれたいじめをやりたい人間に都合の良い声から解放され

傷ついたり逃げたりすることを肯定できるようになった、空気読めない世間知らずでもいいよ、これから先ひとりぼっちになっても私はもう自分のこと蔑まないよ、っていう

弱さの保持を自分に対して許す強さなんだ、あー言葉にしづらいな。誰かわかってくれるかな。というか人にわかる形で言葉にできているだろうか。ちょっと今回散らかってるのでもうちょい整理されたら削除して書き直すかも。