夜中の散歩

いじめについて考えている

中学の頃のいじめ被害について書く①

何回かに分けて、人を壊すだけの機械と化した、ある中学の話の話をする。はずなんだけど具体的にどんな目に遭ったか書こうとして力が抜けたので、今回はどんな生活してたかさわりだけ書く。私はその中学で排除と暴力と教育を受ける権利の剥奪に遭って、親の無理解と自己責任論と暴力で自殺しかかって、失敗して、不登校を経験して、ずるずる這うようにしてなんとか出てから7年目をなんとか生きてるところ。いじめ被害、暴力やモラハラ、性的加害などの表現を目にするのがしんどい方は読まないでください。必然性のない激しい表現をしないつもりですが、基本的に内容が暴力まみれです。
その学校では、カーストと内輪のルールをすばやく内面化し、それぞれのキャラに割り振られた役割をこなして教室の中の安全なポジションを手に入れることが生き延びるための最優先事項で、一日はそれだけで終わる、生きていることが毎日単に虚しい、少しでもキャラを逸脱したら次の日から排除されて暴力を受ける。怯えるためだけに生きているし死んでても生きてても同じ。ぬけがら。キャラさえその状況にマッチしていれば中の人は誰でもよくて、みんな入れ換え可能で、毎日会っていても深い内面なんか知り合うわけもなくて、内面なんか少しでもさらけ出したら重くて痛くて中二病、そんなハズカシイことはしねえよとはすに構えてだんだん自分や他人に独自の感情や内面世界があること自体を忘れていく。不快と空虚を圧し殺してひたすら軽く笑い続けるだけになる。ぬけがらを駆動させるのは怨恨で怨恨のはけぐちとなるのは他人の痛みを使った娯楽。具体的にはいじめとか密告、
暴力とか暴言とか陰口、デマ、物の破壊、図書室への襲撃、文化的なものや人への嘲笑。
政治のための政治や保身のためのいじめ、無意味な破壊を娯楽として楽しめるようになればなるほどその中で生きていくために有利になり、外の世界がある可能性を考えなくなっていくマッチポンプが働いている。惨劇だけど、監視がないから終われない。人と話すのが好きだろうが好きな音楽がたくさんあろうが一人で世界を作って楽しんだら身から滲み出る自由の雰囲気がばれて潰されるんだし、私は
本と音楽好きの女子で、真っ先に不適応を起こした。私は内面の大人っぽい、政治的に子供っぽい生徒で、保身へのとろさと身の回りの環境のクソさ加減への鋭さを兼ね備えていて、
内面の子供っぽい政治的に大人っぽい教師とヤンキーに非常にうざがられて、殴って愉快なサンドバッグとして大いに活用された。3年。再起不能かと思うくらいボロボロに心が壊れた。声がでなくなって自分をクズだと思い込んだ。まあ再起不能じゃなかったんだけど。声も出るしクズじゃないし友達できたし、民度低いクソ大だが大学はいったし。
自尊心有り余ってピンピンしてブログ書いてるけど。自尊心余ってるのは嘘だ。むりくり絞り出してる。
ピンピンしてないしむしろメンヘラだけど。大人なってもあんま周囲の光景が中学と変わってないようにも思うけど。取りあえず生きている。