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夜中の散歩

いじめについて考えている

どこから手をつけようか…

現在大学のカウンセリング機関を利用していて、
少しずつ過去のいじめ経験を言語化してほぐしたり
日々の人間関係で感じる困難さを分析したりしている最中。カウンセラーさんに話して楽になった部分もあるけれど、いくつかの別々のエピソードが、私の頭のなかでは同じものだから、混ぜて話してしまったり、時系列に混乱があったり、なんだかんだ伝えるのが難しいことも多い。
いろいろ整理したいし、書くことがそのまま自己治癒に繋がることがあると聞きかじったもので、ブログをやってみることにした。ただ、カウンセラーさんからは、外傷性の記憶はゆっくりカウンセリングの場で思い出した方が良いし、文を書いたときのフィードバックで感情が刺激されて不安定になることもあるから、ブログとか日記はまだやめとき、どうしてもなんか書きたかったらメールで送っていいよ、と言われている。時間外にメールしてアドバイスを貰うのは悪いし、気持ちをカウンセラーさんという特定の人に伝えるための言葉にできる自信がないし、週一という縛りを越えて援助して貰うのはおっかないしで、ありがたいけどメールはしないことにして、ブログは止められてるけど、ひそかに、やる。辛くなったらやめる。ありがとう、ごめんなさいカウンセラーさん。
確かに、以前社会学系の講義の課題でいじめ経験をレポートにして出したら、教授から、あんたの身におきたことは今の社会のヤバさの問題の凝縮されたやつだよ、と教えられて、一人で考えてたことが
他人にも読まれて共感されて、私の手を離れて
事実として固まって、私の苦しさは気のせいじゃない、現実だ!ってショックを受けて、
大分心境に変化が起きて、親子関係やら記憶の解釈やらの歪みに気づいてしまって一時的に鬱と怒りで
動けなくなったことがある…長いな。まあ内面で連鎖的なビッグバンが起きたわけです。
日記でも手紙でもブログでも、なんならツイッターでも、書きながらどんどん自分でもわからなかった環境の歪みや自分の内面の動きに気付いて、書く前書く後で自分が変わらないことってない。たとえ引き起こされたのが良い変化だったとしても、直後は安定崩れるので、書くことって基本的に危ない。
でも書きたい気持ちの方が勝ってしまってうーむ。
まあ、おそるおそる。