夜中の散歩

いじめについて考えている

別になにも蓄積しなくて良いから、なにも

どうせあの世に持っていけないし、人が生きてることに完成はないし、長生きしなくて良い

弱ったり落ち目になるのはいまだってそうで、それは殺される理由にはなっても死ぬ理由にはなんないけど、抑制が効かなくなって自分より弱いものを傷付けて娯楽として楽しめる人間になったと自分で自分に対して思ったら、なるべく身辺整理してとっとと死ねば良いや、と、クィアとかサブカルとかのたまう簒奪者マジョリティおっさんにモラハラセクハラ兼ねた接し方されてみて思った、わたしがあいつなら自分が恥ずかしくて自殺してるよ

「わたしがおまえなら自分が恥ずかしくて自殺してるだろう、でも恥ずかしいとさえ思えないで笑ってられるのがおまえが徹底的に不幸である理由、かわいそうに、わたしがこんなこと考えてる、ということすらおまえには教えてやらない、そんな義理はない、これが私の復讐です」

こういうことなんどとなく踏みにじってきた人に対して思ってきたと思う

でも、わたしはこういうこと思ってきました、と書いて公開しないとしんどいってことはこの世に未練がありまくりなんでしょう

殺意よりひどい悪意を全部胸にしまってニコニコして生きたりってできないよ

そこまで人に何の期待もしなかったら生きてられないんじゃないのか

わかってほしいと思ってしまうからどれいのこころ、なんだっけ

この世のどれいだよな、なら




もともと死ぬのが怖いくらいしか生きてる理由ないからなぁ

人間関係や金銭とかに殺される人は多いし

扱いは自殺かも知んないけどそれって加害者が多い他殺でしかないんじゃないの

どれだけ家庭や恋愛や金銭面で詰んでるとしてもべつにわたしの自殺の理由になったりしはしないんじゃないか


どこまで殺すがわになっても、救いとかって求めればあったりもするのかな?わからない

死ぬしかなくなるくらいの悪さをしでかしたと自分で思ったら、誰もわたしをとがめなくてもわたしは死ぬだろうなーとおもう



目的と思えるものだってプロセス

プロセスは目的になっている、楽しいければ生きてれば良いしそうじゃなきゃしねば良い

空洞だから人のことを助けたいと思ったにしても空洞が空洞を助けるのが人助けだからやはりこの世にはなにもないのではないですか

目がかゆい


出かけよう

状況はずっと悪化するだけかもしれない。

美味しいものが食べられない、とか、体が悪い、とか、恋人ができない、とか、見栄はれる仕事につけないとか、仕事をする能力が自分にかけてて劣等感に浸るとか、貧困とか気の合う友達がなかなかできないとか、親が無茶苦茶、とかで落ち込んだり喪失感に浸ったりできるのって、それらを当然与えられるものだと思ってるからであって、結局は甘えなんでは。つらいばかり言ってないでちゃんと諦観して楽しく生きたいな、もとから自分のものじゃなかったものをなんで自分には与えられないんだ、などと駄々こねて恨み募らすのって馬鹿馬鹿しい

とりあえず精神科に行かなくては、それから本を読む


哲学、倫理、ウェルネス、の3教科の講義で出生前診断について考えろ、障害がある子供が生まれた時に堕胎してもよいか。自分ならどうするか、考えろ、と言われてすごく嫌だった。私が嫌かどうかに関係なく、悪い。

自分や近しい人が当事者になる前に考えておくべきであると言った教員がいたが、本当にそうなんだろうか、自分が考えるべきだと思った時に考えればよくないか。



私はこの社会に私が産まなかったらいなかった子供迎え入れることできない、ここがこの社会じゃなければ、という想定は無意味、というか不可能、ここで生きなければ私だって違う人間だったはずなのでシュミレートするのははなから無理だ。(無理なりに考えてみると、こんなこと特に考えず、社会通念を特に疑いもせず産んでた可能性は…?やっぱ

わからん)反出生主義、ではないんじゃないかな?

産む人は勝手に産んで、堕胎をしたい人はすれば良い、そのことで私がどういう感情を抱いたとしても、口にすべきじゃないし働きかける権限はない、虐待しないようになるべく育ててね、しかし、もし虐待せずに育てられなくなったとしたら行政、行政含む外的状況が全部悪い、刑事罰受けるのは本人だけど。

問うことは、それだけで、障害者は生きるべきではない、というメッセージを含むヘイト


育てられる状況が用意されてないのに外からそんなこと言うべきじゃないんだよ。

‪そういえば、感情労働したくないから無心に働きたいと言ったら、ロボットになってしまってそれでいいのか、企業の倫理などについて考えないのか、思考停止で良いのか、それで人間と言えるのか、などとすごい怒られたことがあった‬



そういうこと言ってるんじゃないって何回説明してもその人にわかってもらえなかったんで、めんどくさいから会わなくなっていったんだけれども、

自他の感情を守るために感情をなるべくむき出しにしないではたらく、というような考え方ってもっと広まって良いと思う


なんで、本当の心を開け、みたいなのが好きな人はどこの仕事場にもいるんだろう

そういうのは利害の絡まない人に対してやるんじゃないと、気が合わなかった時ひたすら苦しいと思うんですが…


暴力のこと

‪正直、追い詰められた子供が暴力親殴り返すのは仕方ない。‬

‪暴力を肯定したり全然できないわけで、わたしも親を殴り返してしまったばっかりに、‬

自分も親と同じなのかという絶望とか、人のこと殴ることの生理的な嫌さとか、知らなくて良いことを知る羽目になった。

親が、わたしを殴った後しつけですと言うのが耐えられなかった。

何がしつけだ、そっちがしつけならこっちもしつけだよ、殴ったら改心するんだろう、少しはまともになるんじゃねえの。

みたいなことを実家にいた頃よく言っていた。親を殴るときに。

机を刃物で刺したり壁やドアをしょっちゅう殴ったり蹴ったりしていた。穴を開けた痕が家にまだある。

二階の窓から家の中のものを手当たり次第にコンクリに向かって投げたりしていた

玄関ドア蹴破ってしまったので出禁にされたりした。

父親のことも母親のことも蹴ったり殴ったりした。キレた父親が殴るために私を探してて、近所をずっと走って逃げて、追い回されたりとかした。私の原家庭の暴力はコミュニケーションだと思われていたしみんなすぐ暴言吐くしあっという間にキレる、庭で父親に組み伏せられてコンクリに頭ガンガン打ち付けられたりした時は死ぬかと思いました。それは18くらいのときでしたかね、そのあと父親の寝込みを襲って殺さない程度に腹足でぐちゃぐちゃに踏みしだきに行ってまた殺されかけたりしたものです。死ヌ‼︎


この前ある抗議で封鎖された公園の前の鉄板を蹴った

我ながら暴力行為に慣れてると感じて引いた。あとでまずいとは思うのだけれど、体がそのように動いてしまう。物を壊すのは爽快感がある。自傷も、他者への暴力にも、快楽がある。それらは簡単に嗜癖になる。わたしは、

そういう風になってしまう自分をずっと見張る必要がある。



正当な怒りを無茶苦茶な方法を使うことで無効にしてしまう、個人化、病理化されて終わってしまう。



ものすごく怒っている、わたしは昔からずっと怒っていてこの世が悲しいと思うし自分のことをみじめだとおもっている。


なんで暴力をやめられたのかというと、まずは服薬、あとはこれまで恋人何人かできたけども、トラブったはトラブったけど一応身体的暴力はふるいもふるわせもせずどうにか関係が作れたので自信になったことも大きく、それから暴力を肯定しなくなったことも理由、嫌、とか恥、ではなく悪、火炎瓶警官に投げるのとか支持する人いるけど無理、他人の身体を傷つけることはわたしがやりたいことではない、と明確に思っているから、それから言葉を増やしたから、それから、本当に言いたかった言葉が他人に通じる、またはわかろうとしてもらえる、という経験をして言葉を信用することに望みを捨てなくなったから、あとは最低限の自尊心取り戻したからだと思う。プライドがないときは、もう何やっても同じだと思うくらい自分をゴミクズだと思って蔑んでいるので、残念ながらなんでもできてしまう。無敵の人じゃ無くなってよかった。



ものすごく怒っている、わたしは昔からずっと怒っていてこの世が悲しいと思うし自分のことをみじめだとおもっている。それは別に良いのだ。ただ、自分に対してちゃんとしてないやり方とちゃんとしたやり方あったらちゃんとしてるほうを選ぶよ


暴力のこと

‪正直、追い詰められた子供が暴力親殴り返すのは仕方ない。‬

‪暴力を肯定したり全然できないわけで、わたしも親を殴り返してしまったばっかりに、‬

自分も親と同じなのかという絶望とか、人のこと殴ることの生理的な嫌さとか、知らなくて良いことを知る羽目になった。

親が、わたしを殴った後しつけですと言うのが耐えられなかった。

何がしつけだ、そっちがしつけならこっちもしつけだよ、殴ったら改心するんだろう、少しはまともになるんじゃねえの。

みたいなことを実家にいた頃よく言っていた。親を殴るときに。

机を刃物で刺したり壁やドアをしょっちゅう殴ったり蹴ったりしていた。穴を開けた痕が家にまだある。

二階の窓から家の中のものを手当たり次第にコンクリに向かって投げたりしていた

玄関ドア蹴破ってしまったので出禁にされたりした。

父親のことも母親のことも蹴ったり殴ったりした。キレた父親が殴るために私を探してて、近所をずっと走って逃げて、追い回されたりとかした。私の原家庭の暴力はコミュニケーションだと思われていたしみんなすぐ暴言吐くしあっという間にキレる、庭で父親に組み伏せられてコンクリに頭ガンガン打ち付けられたりした時は死ぬかと思いました。それは18くらいのときでしたかね、そのあと父親の寝込みを襲って殺さない程度に腹足でぐちゃぐちゃに踏みしだきに行ってまた殺されかけたりしたものです。死ヌ‼︎


この前ある抗議で封鎖された公園の前の鉄板を蹴った

我ながら暴力行為に慣れてると感じて引いた。あとでまずいとは思うのだけれど、体がそのように動いてしまう。物を壊すのは爽快感がある。自傷も、他者への暴力にも、快楽がある。それらは簡単に嗜癖になる。わたしは、

そういう風になってしまう自分をずっと見張る必要がある。



正当な怒りを無茶苦茶な方法を使うことで無効にしてしまう、個人化、病理化されて終わってしまう。



ものすごく怒っている、わたしは昔からずっと怒っていてこの世が悲しいと思うし自分のことをみじめだとおもっている。


なんで暴力をやめられたのかというと、まずは服薬、あとはこれまで恋人何人かできたけども、トラブったはトラブったけど一応身体的暴力はふるいもふるわせもせずどうにか関係が作れたので自信になったことも大きく、それから暴力を肯定しなくなったことも理由、嫌、とか恥、ではなく悪、火炎瓶警官に投げるのとか支持する人いるけど無理、他人の身体を傷つけることはわたしがやりたいことではない、と明確に思っているから、それから言葉を増やしたから、それから、本当に言いたかった言葉が他人に通じる、またはわかろうとしてもらえる、という経験をして言葉を信用することに望みを捨てなくなったから、あとは最低限の自尊心取り戻したからだと思う。プライドがないときは、もう何やっても同じだと思うくらい自分をゴミクズだと思って蔑んでいるので、残念ながらなんでもできてしまう。無敵の人じゃ無くなってよかった。



ものすごく怒っている、わたしは昔からずっと怒っていてこの世が悲しいと思うし自分のことをみじめだとおもっている。それは別に良いのだ。ただ、自分に対してちゃんとしてないやり方とちゃんとしたやり方あったらちゃんとしてるほうを選ぶよ


治癒

ちょっと強迫的な感じで言葉が出てきて止まらない、話したりとか書いたりとかすると、その前より辛くなる、場合によっては起き上がれなくなる

わたしは自分の仕組みがわからない

自分に限らず傷を負った人間が傷についてハイになって話すのをやめられなくなっているところに居合わせるのは怖い、その人は苦痛を話した方が楽になるのか、苦しくなって荒むのか、わからないのよ

話して楽になるならなれよ、というようなことをあらゆる辛い人に対しては思うし、私は聴くとか慰めるとかそれくらいしかできない

わたしは辛い人だからかなのか辛い人から突然何か打ち明けられることが今まで生きてきて、異常なくらいにすごく多い、辛い人は辛い人の存在にびびらない人を必要としているのですかね、なんか、生きる前提がブルーな人はブルーな人を引き寄せる法則はあると思う

私は傷を剥き出しにしてひきむしって血まみれになったところを人に晒してドン引きさせるのが趣味なので

床にゴロゴロころがって内臓さらけ出しながら痛々しいだろう、気持ち悪いだろう、そしてあんたも変わらんだろう、とか言いたい露悪趣味が昔から治らない

それはわたしを癒していない、腐らせていると思う

そろそろやめてしまいたいものだ

傷が治癒してつまらなくなったらその方がいい