夜中の散歩

いじめについて考えている


本を読むことは、ひらくことだ

ぜんぶひらくことかもしれないから、自分だけのものなんかなかなか持てない

なかなか所有はできない、なんだって関係になる、いつか死ぬのだしなにを持ったって借りているだけじゃないか?

大学に来ている意味が全然わからない。

学ぶということの害は減らせるとしても無くせないと思う。せめて役に立つことを覚えて帰りたい、還元したい、私物化したくないし、学をつけるのは、自分の商品価値を高めるためではないはずだった、でもそうなってしまっていて取り返しがつかない、自分の金に取り込まれていなかった領域をついに金に変えてしまった、という後悔。

大学は、排除と簒奪で成り立っている。

リバティをやたら言い立てることに欺瞞を感じる。

誰にとっての自由なのか、誰から奪った自由なのか、ということを考えている人は果たして大学にいるのか?

なんで教授も学生もこんなところで真面目に講義をやれるんだろう、結局のところ真面目じゃないからなんじゃないのか?



授業やってる最中の教授って、対等の誰にも監視されていないんだな、と思ったら怖くなった

閉じられた上下関係の上にいて、なんでもやり放題じゃないか?


出生前診断で子供に障害が見つかったら産むか産まないか考えよう、というテーマで生徒をディスカッションさせて、授業の中で答えを発表せよと言ってくる教授の倫理観はやばい。

コストの問題があるからパートナーにおろさせるという男の生徒の意見とか、予想はしてたけど聞きたくなかった。

どうも身体と心の連結がゆるい、ゆるいようで癒着していて、決して分けられないってどういうことなんだろう

心だけ取り出せないし、体だけしかないわけじゃない気もするが、体だけしかないのかもしれないとも思う

心と体は同じもの、一語にまとめてしまえ、とか言って実験してみると、何も話せなくなるからみんなやってみそ、わたしは無理でした

言語の仕組みと感覚にも当然ながらずれがあるから、

いつも感じているおなじみの感覚すら全然記述なんかできないよ、できたって伝わらない、おそらく、わかる!と思っても幻想でしかない

他人はほんとにわかってるのかもしれないが、それをたしかめることはできない

体はみんなが持ってるから、わかる、という幻想もあるのか、だからこそ、視覚イメージで正確に語って人の頭に再現したりできないんだ

スライムでできたケースの中にスライムでできた丸が入っている、そんな、身体感覚の図を思い浮かべたら、自分でもよくわかんねえ、と頭を抱えた

ケースと丸は完全にはくっつかないけど

いつも溶け合って、交流しながら成分の一部を交換し合ってるんです、とか言っても、わかる?わからん?わかるとかわからんとかわかる?わたしはわからん



わたしが女性身体続けてるのなんか金策と惰性じゃないか、性器なんてあってもなくても良いけど外すのがめんどくさい

女性身体だってことにあんまりアイデンティファイしてない、引き受けないといけない加害者性はたくさんあると思うけど、ほんとにシスジェンダーなのか、とか考えると、よくわからない

マイナーとメジャーならマイナーでいたいからとりあえず女性として暮らすのを選んでる、という気もする

でももっと細分化したらよりマイナーな人はいっぱいいるな

女の子だ、という感じがしないね、と昔からしょっちゅう言われて、男装なんかしたことがないし髪はずっと長かったのに、歩いてたら、知らない人に、まじまじと見つめられて、最初男の子かと思ったと言われたことがあった、

それも複数回、それもスカートはいてるとき

ネットでジェンダーの話をする前は、男だと思ってた、とか言われてた、ボーイッシュと言われることがあって、それも違うだろ。とつっこみをいれている、自分を男性だと思ったことも一回もないし、男集団に紛れて過ごすこともあったけど結局は浮いていたし、服装はガーリッシュだしスカートだし

俺とかあたしとかわたしとか、一人称には変遷があった、何でも良いです、でも一番突っ込まれないのがわたしだからわたしって言ってます、苗字でも名前でも、カタカナのニュアンスで呼び捨てられるのが一番しっくりくる



性器なんかできれば洗って外して置いといて、使う時だけ装着したい、生理とか本当に迷惑でしかない、赤い水なんか出すなよ服が汚れるでしょう、程度のことしか考えてない

これを人に話すと、1パーツ取ったらもう別の人間なんだよ、そんなにフィギュアみたいなわけないじゃん、と言われて、まあそうなんだけど、心だってそうなんだから、やっぱパーツなんじゃないのか、という気にもなる

生理に愛着がないし憎悪もない、身体違和がある人と話すと、すごく噛み合わないのは、

身体を適当に外圧に加工されて良いゴムかなんかだと思ってる時も多いから、あまりこだわれないということが、シスジェンダーだということよりも、性別違和がある人と話してて、すごく共感できない要因として、強い気がする

身体は物だから、比喩にするのは私はちょっと

でも他人がそう感じるなら尊重する



身体由来のわからなさを、


なにも共有できないんだからそんなに怒んないでよ、わかんないものはわかんない、わたしの身体感覚のことだってないがしろにしてきたくせに、あなただってなにもわたしのことなんか知らない、わたしがあなたのことをわからないからといって攻撃性剥き出しにして故意に傷付けて良いのか?



みたいなことをいろんな人に言ったり言われたりした、最近

個体差なんかなければ良いのに、体なんてなければよかった

体があるから話せるし触れるが、永久に隔てられているのも体があるからだ、しょせん

独房暮らし





別になにも蓄積しなくて良いから、なにも

どうせあの世に持っていけないし、人が生きてることに完成はないし、長生きしなくて良い

弱ったり落ち目になるのはいまだってそうで、それは殺される理由にはなっても死ぬ理由にはなんないけど、抑制が効かなくなって自分より弱いものを傷付けて娯楽として楽しめる人間になったと自分で自分に対して思ったら、なるべく身辺整理してとっとと死ねば良いや、と、クィアとかサブカルとかのたまう簒奪者マジョリティおっさんにモラハラセクハラ兼ねた接し方されてみて思った、わたしがあいつなら自分が恥ずかしくて自殺してるよ

「わたしがおまえなら自分が恥ずかしくて自殺してるだろう、でも恥ずかしいとさえ思えないで笑ってられるのがおまえが徹底的に不幸である理由、かわいそうに、わたしがこんなこと考えてる、ということすらおまえには教えてやらない、そんな義理はない、これが私の復讐です」

こういうことなんどとなく踏みにじってきた人に対して思ってきたと思う

でも、わたしはこういうこと思ってきました、と書いて公開しないとしんどいってことはこの世に未練がありまくりなんでしょう

殺意よりひどい悪意を全部胸にしまってニコニコして生きたりってできないよ

そこまで人に何の期待もしなかったら生きてられないんじゃないのか

わかってほしいと思ってしまうからどれいのこころ、なんだっけ

この世のどれいだよな、なら




もともと死ぬのが怖いくらいしか生きてる理由ないからなぁ

人間関係や金銭とかに殺される人は多いし

扱いは自殺かも知んないけどそれって加害者が多い他殺でしかないんじゃないの

どれだけ家庭や恋愛や金銭面で詰んでるとしてもべつにわたしの自殺の理由になったりしはしないんじゃないか


どこまで殺すがわになっても、救いとかって求めればあったりもするのかな?わからない

死ぬしかなくなるくらいの悪さをしでかしたと自分で思ったら、誰もわたしをとがめなくてもわたしは死ぬだろうなーとおもう



目的と思えるものだってプロセス

プロセスは目的になっている、楽しいければ生きてれば良いしそうじゃなきゃしねば良い

空洞だから人のことを助けたいと思ったにしても空洞が空洞を助けるのが人助けだからやはりこの世にはなにもないのではないですか

目がかゆい


出かけよう

状況はずっと悪化するだけかもしれない。

美味しいものが食べられない、とか、体が悪い、とか、恋人ができない、とか、見栄はれる仕事につけないとか、仕事をする能力が自分にかけてて劣等感に浸るとか、貧困とか気の合う友達がなかなかできないとか、親が無茶苦茶、とかで落ち込んだり喪失感に浸ったりできるのって、それらを当然与えられるものだと思ってるからであって、結局は甘えなんでは。つらいばかり言ってないでちゃんと諦観して楽しく生きたいな、もとから自分のものじゃなかったものをなんで自分には与えられないんだ、などと駄々こねて恨み募らすのって馬鹿馬鹿しい

とりあえず精神科に行かなくては、それから本を読む


哲学、倫理、ウェルネス、の3教科の講義で出生前診断について考えろ、障害がある子供が生まれた時に堕胎してもよいか。自分ならどうするか、考えろ、と言われてすごく嫌だった。私が嫌かどうかに関係なく、悪い。

自分や近しい人が当事者になる前に考えておくべきであると言った教員がいたが、本当にそうなんだろうか、自分が考えるべきだと思った時に考えればよくないか。



私はこの社会に私が産まなかったらいなかった子供迎え入れることできない、ここがこの社会じゃなければ、という想定は無意味、というか不可能、ここで生きなければ私だって違う人間だったはずなのでシュミレートするのははなから無理だ。(無理なりに考えてみると、こんなこと特に考えず、社会通念を特に疑いもせず産んでた可能性は…?やっぱ

わからん)反出生主義、ではないんじゃないかな?

産む人は勝手に産んで、堕胎をしたい人はすれば良い、そのことで私がどういう感情を抱いたとしても、口にすべきじゃないし働きかける権限はない、虐待しないようになるべく育ててね、しかし、もし虐待せずに育てられなくなったとしたら行政、行政含む外的状況が全部悪い、刑事罰受けるのは本人だけど。

問うことは、それだけで、障害者は生きるべきではない、というメッセージを含むヘイト


育てられる状況が用意されてないのに外からそんなこと言うべきじゃないんだよ。

‪そういえば、感情労働したくないから無心に働きたいと言ったら、ロボットになってしまってそれでいいのか、企業の倫理などについて考えないのか、思考停止で良いのか、それで人間と言えるのか、などとすごい怒られたことがあった‬



そういうこと言ってるんじゃないって何回説明してもその人にわかってもらえなかったんで、めんどくさいから会わなくなっていったんだけれども、

自他の感情を守るために感情をなるべくむき出しにしないではたらく、というような考え方ってもっと広まって良いと思う


なんで、本当の心を開け、みたいなのが好きな人はどこの仕事場にもいるんだろう

そういうのは利害の絡まない人に対してやるんじゃないと、気が合わなかった時ひたすら苦しいと思うんですが…