夜中の散歩

日々の雑感と本の感想とか

フェミニンにまつわるぶつくさ

バイト一ヶ月休むのをいいことに、黒髪ロングから金髪のショートにした。一ヶ月後に暗くするとは思うけど、全然フェミニンさがないショートはもう何年かしないとロングにはならないので、なんか今更どきどきする。切るときは、鬱だから頭4日おきくらいにしか洗えないんだよオラァというテンションでやけくそだった&平然としていたんだけどねー。自分で切ったけどぐちゃぐちゃになったからイレブンカットで無謀っすよ自分で切るとかーなどと言われながらおっちゃんに1500円で直してもらった。

バイト復帰したら、なんかぽっちゃりした猿おるな…とでも思われんじゃないかなぁ。スッピンでメガネかけると荻上チキの物真似の人(そんな人って)という趣である。そうしょっちゅうあうわけでもないが痴漢とかナンパにこの頭にしてから遭遇していないな…よかったね。荻上チキと猿に似てるよこの髪型。でも荻上チキは猿に似てないよね。そんなことはどうでもいい。

なににも狙われないのは加齢なのか、太ったからなのか、髪のおかげか、よくわからないけど、若くて痩せてて髪長かったときの風俗キャバクラのスカウトに絡まれ率、痴漢ナンパに嫌がらせされ率は本当に高くて、モテて楽しいみたいな経験もなく、変なやつと付き合って弁護士沙汰になって精魂尽き果たして、あとは若さをやむにやまれず金に変えてわたしの青春は終わりましたね。さよなら。15.16.17とーわたしの人生暗かったー、別に夢も夜開かねー。

とはいえフェミニンな服を着てると客体化してよい人だとみなされるという図式は支配的なコードというほど確固たるものなのかなーと最近人と話してて、謎いと思った。そういうことを言う人の数は多いのかもしれないけど、そんなものすごく安易な、おっさんの飲み屋トーク的意味づけに装いを左右されなくてもいいんじゃないのかなー。フェミニンな服のデザイナーだってモテのことだけ考えて服作ってないし、モテ系と呼ばれる服をデザインが好きで別にモテたいと思ってないで着てる人もいると思う。デザインする方と着る方が誰から構わず客体化されようなんてことを思ってないのに、着たら最後スカート履いてたらヤレるとか雑なこと思われるなら、そういうこと思う側の因習を破るべきであってフェミニンやめる方向に戦うのは微妙。セーラー服だって元々軍服だし、なんだって性的に消費して良いと思われてしまうものだから、消費されないようにとその格好をやめるというのはあまり有効な戦略とは思えない。消費なぁ…消費ってなんだろ、性的オブジェクトとして見てますよーとあからさまに態度とか言動で示されることか。内心は本当にどうでも良くて。

あとどんな格好してても狙われるときは狙われるし。とはいえ嫌な目線やそれにもとづく行為をよこされる確率は下げられるかもね、防衛のためにフェミニンな格好やめる人のことは全然止めないし1つの生存戦略だと思う…人はなにをどういう理由で着ても着なくてもいいんだ、状況に大きく左右されるとはいえ「人は自由」ってゆっきゅんも言ってたよ。

とはいえ、私はそれは選ばないし脱コルしないで

フェミニズムをやるし、外圧によってフェミニンな服やめたら負けだと思ってる…髪は猿化したしフェミニンなのか微妙だけど…一応服がフェミニンだからゆるくフェミニン側の人間だとして、これは個人的な戦いなので人にやれとは言わないけど、私は脱フェミニンとか脱コル方面には絶対行かない。あれって規範があるから破壊しようとは言わないから、女性の規範への従属を強めると思うし、どんな女でも差別させないとは言ってくれないから嫌なんですよ。まーたまとまらなくなった。

 

自殺は嫌です

 

日本で生きている以上、誰も彼も軽く扱われてる命だということは共通している。

マジョリティだったり承認されやすい記号を持っていたら多少そのことから目を背けて生きていけるかもしれないけれど、所詮条件付き承認にすぎないし、生きていることを生きているだけで肯定されるということがないから、生存にはどうしても不安が付き纏うんだと思う。

多くの人が人を尊重するということを知らない。

自分を大切にすることもよくわからないのに他人を大切にしたりできないから人は容易に人殺しになる。

ここは夢も希望もない人殺し天国なので自分を殺したくなるのも無理はないけど、自殺でここでの生は価値のない生だという同調圧力をこれ以上強めないでほしい。自殺って全存在をかけた、この世に生きる価値がないっていう遺された人や遺されたコミュニティへの呪いじゃないのかと思う。正直、周囲の人に死ぬと言われると私は悲しくなるし、無責任なんじゃないかと頭に来ることがある。

自分が死ぬほどの目にあってないから死にたい人の気持ちがわかんないんじゃないのか?と自分に問いかけもするし正直そこはわからないけど。

1人で死ぬということはできないし、人は人に対して責任があるから、あなたが呼吸してるだけで楽になる人はいるし、あなたが死ぬことでこの世から肯定的な力の一部を奪い去っていくということもある。

ここまで書いて、なーんてマッチョなんでしょと自分に呆れた。自他の区分がないし。

 

人は勝手に生まれさせられたんだし、死ぬ自由あると思うし、死にたいくらいこの世を嫌だと言ってる人を引き止めるのも残酷なんじゃないのかな。でも、これは正論だし本音だけど心の底から出た本音じゃない。

この社会はくだらないし生きる価値あるかと聞かれたらわからないけど、生きることには生きる価値がある、特に理由はないし説明はできない、これは単なる感覚ですが、私はそう思うのであなたにも死んで欲しくないのでした。意味はわからないし矛盾してるけど、人間なんてそんなもんだろ。論理的にだけ正しく考えると、自殺って合ってるもん。ただ、消極的な、最終的には勝手におやり、という結論しか他人に対して出てこないのはおかしい、なぜなら心の底からは私はそう思ってないから。おやすみなさい。

欅坂の魂のないプロテストソング

秋元康みたいな家父長制の権化が作るプロテストソングもどきが評価されるのはみんなが安全なものだけ見たいからなのか。なら無難なラブソング歌わせとけって感じだけど、それだと飽きんのかな。安全な場所から、自分を本当には脅かさないコンテンツとしての女の子の大人への抵抗が見たい?ラブでもプロテストもどきでも平坦になんでも消費していくこの社会の文化、きもいよー。

金落としてるのも裏でコンセプト立ち上げてるのも歌詞の中で批判されてる大人なんだよなぁ。

悪巧みしてるとか、エロい目で見てるよ、っていう自覚があればまだマシなんだけど、消費ついでに女の子に憑依して、自分の社会的責任果たしたくない少年の心とか言うものを託して盛り上がってんのかな。本当に心から気持ち悪いと思う。大体過呼吸てなんだよ。健やかに過ごさせてやれよ。まだ子供じゃん、無理させんなって。

 

みたいなことを、正月の夜中にコタツでテレビ見ながら言ってたら、親から何にでも食ってかかるのは生きづらそうだからやめなよと言われて、「文句言い」にはみんな好きに文句言うしケチつけるよね、という矛盾を感じた。文句を言うなと私に文句をつけるお前はなんなのだ。同調圧力うぜー…

日常レベルでも我々はこうやって抵抗できなくさせられているのだ。気持ち悪いものや権力の臭いがするものをを批判すると性格悪いとか言われんの。矮小化。

 

 

 

 

ゆっきゅん愛について

https://www.google.co.jp/amp/s/www.tv-tokyo.co.jp/plus/smp/entertainment/entry/2018/018482_amp.html

ゆっきゅんインタビュー感動的なのでみんな読もう。マイナー側の人間は特に。

 

私はセルフツッコミ過剰人間で、わかりやすく話せ、わかりやすく書け、みたいな圧力が自分内で強いことを最近自覚した。わかりやすい存在であれという権力とか社会からの要請の内面化とでも言えばいいのかな、普通に喋ってるつもりでも何言ってるか全然わかんないって昔から言われまくって生きてきたし、そんなんだと友達も作りづらかったから、社会の中の普通の大人になるために生存適応しようとしてるんだろうということがその理由かなぁなどと思うんだけど、でも生きづらさを得たとしてもそんな変な抑圧には逆らったほうが楽しくないか、とかいうことも思う。ゆっきゅんは反体制反権力言ってる左翼おじさん(特定の人物思い浮かべながら書いてるけど誰とは言わない)みたいな俗なゴリゴリマッチョとは正反対だし、私みたいな割とストレートにフェミフェミしたことを言ってる女子とも違う戦い方をしているが、紛れもなく戦ってる人だと思う。

んで、これを書きながら、早くもこれは人に伝わる感覚だろうか?文章おかしくね?とか考えてしまい、ああもうとなっている。

脳内のわかりやすく言えるはずだ派に伝えるためにわかりやすく…論理的に…とか考えるのは無駄だし自分のエネルギーとか感覚殺すし感覚の網の目を殺すからやめようやめようということをゆっきゅん見てると思うのだった。

昔ゆっきゅんにツイッターであなたはセクシュアルマイノリティですか、みたいなことを問うていた人がいて、ゆっきゅんも怒っていたと思うんだけど、私もレッテル貼るな!とか、セクシュアリティ明かせと他人に言うな!そろそろこの程度の人権感覚や、礼儀は常識にしましょう?と思ったのと、未知の感覚や未知の人、カテゴライズできないと思った人を、自分の方の認識の枠組みは変えないで咀嚼しようとするのは嫌だな、雑だな、という感じが湧いてきたのを覚えている。雑な網の目にかからないということは彼の美点ではないか。なんであなたがいる雑な世界に呼び戻そうとするのか。ゆっきゅんがいる側の、わかりやすくないもので豊かになった世界に誘引された方がきっと楽しいのにね。

ゆっきゅんのジン「友達の遅刻は最高」を先日のジンギャザでゲットして読んで、主義としてそうしようと思ってるのか、ゆっきゅんの生理に従って普通に書くとそうなるのかはわからないけど、伝わるか伝わらないかギリギリの線を攻めてて、なんか他人のも自分のも、マイナーな感覚を抑圧しない人だなぁと思った。

とても面白いし、こうやって書いても伝わる、と他人のことを馬鹿にしないで信じてるのがいいなぁと思った。人類を全員信じる、じゃない信じるだと思うけど、わかりやすくないことや個人的な感覚についてああやって書いてもちゃんと伝わるんだなと思って、ちょっと感動した。

ゆっきゅんは変な王子様と最近ご自身について言及していたけど、他人の変さにも想像力が豊かで寛容だと思う。優しい。私は去年の日芸祭の時にはじめて電影と少年CQのライブを見たんだけど、物販で、ゆっきゅんもルアンちゃんも貴族っぽいですねとか口走り、あっこれはポカンとされるやつだと思い

ノーブルな雰囲気と言い換えたけど、貴族っぽいで通じるよ、と言ってもらえて嬉しかった。

ある時はゆっきゅんに酔っぱらった状態でばったり出くわし、ゆっきゅんが少年アヤさんの文章を好きなのが好きですと突然の謎い告白をし、

またある時はhttp://musubore.hatenablog.com/entry/2019/12/03/110849

の件が辛すぎて病んでたらツイッターのタイムラインにひゅっとルアンちゃんの写真が流れてきて、私には好きな美しい世界もあるもんな、大丈夫、と思って涙が出た話をしたら、ゆっきゅんがわかるよと言ってくれたのでHPが復活したりした。

アイドルはファンがキモくても我慢して仕事をしてくれる、ということもあるけど、多分それ以上の

変人への優しさを受け取った。

繊細でポップで優しくて変な王子様、希有だし求めてる人は私の他にもわんさかいると思う。

https://m.youtube.com/watch?v=tVXO2nwLvT0

 

最後に、パパラパ大好き。かわいいし、素敵だし、

世界なんか大嫌いだーと思っていても好きだと思える少数の人がいてよかったなぁと思って毎日再生してる。

 

 

 

ヴァージニアウルフの自分だけの部屋読んでる

抑圧のこととか差別のこととかむかつくマジョリティのこととか性被害とその影響についてとか来る日も来る日も考えるマイノリティは多いと思うし、そういう不条理との戦いで生まれる良いパワーもあるのはわかる。だがしかし自分ではわかり切っていることを他人にわからせるために言葉を費やすとか、そういうことにリソース注ぎ込みつづけないといけないのってなんか不当な気がする。もし抑圧がなければ、もっと自由に、好きな物事についても楽しいことについても時間を割いて考えられるんではないのかと悔しい思いをすることがある。
みたいなことを、ウルフの自分だけの部屋読んでて思った。私はシェークスピア読んでないんだけど、ウルフはシェークスピアみたいに純粋な文学を女性が書けない理由は怒りとか抗議が書くもののノイズになるからだと言っている。私は頭を抱えたよ。共感するようなしないような。

あと例えば保坂和志は目に見える抑圧と戦う、みたいなわかりやすい物語を書かないけど、彼が女性だったら紋切り型に対抗した結果の紋切り型かもしれない男への怒りとか、書かずにいられたかな、と想像したりした。
でも、ウルフがノイズだという怒りや抗議がかなりメインだけど松浦理英子津村記久子も面白いよね。そこが引っかかる。なんだって文学の主題にはなると思うし、女性の戦いは文学の邪魔どころか今やテーマになってるのに、ノイズ扱いでよいのか。

今半分くらいまで読んだとこだから、ちゃんと最後まで読んで感想また考えようっと。

女が書くには自分だけの部屋と五百ポンドが必要だ、なんてことを言うためにこの本をウルフが書いたと思ってしまったらなんか単純だよね、思考の過程が大事なんだよねきっと。

部屋と言っても、物理的な鍵付きの部屋も大事だけど、抑圧とか恨み辛みに関わってる時間とかで人生が制限されて狭くなっていくことをどうにか阻止せよ、自分の領域を守れ、と言ってるように思えた。

 

セックスワークについてのメモ2

女子をこじらせて

女子をこじらせて

危険な目に遭うとか、バックが意外と安いとか、たしかにうんざりすることも多い仕事ではあったけれど、一部のフェミニストルポライターなどが言うような不幸なセックスワーカー像にも違和感を覚えることが多い。
搾取されててしかもそれに気づかない哀れな被害者みたいな、要はお前らはバカで不幸なんです、みたいなイメージ付けにも日々ぐったりさせられている。パターナリスティックだし、マイノリティのためを思って、と言いつつスティグマを強化してセックスワーカーを苦しめていることに気づかない鈍感さがあると思っている。

ある立場を強化するために生身の人間を使うな、それは搾取だ、と声を大にして叫びたいよほんと。

 

現実のセックスワーカーは多様だし、一人のセックスワークの中には仕事楽しいな苦痛だな、差別されるのやだな、でも差別する方が悪い、男に欲望されるのは楽しいような気持ち悪いような、好きでやってるし、だがしかし状況に強いられた部分もある、みたいに、いろんな仕事への感情が、こじれて詰まっているのだと思う。
現実が複雑で矛盾しているので内面もどうしたって複雑になる。

女子をこじらせて、は名著だけど、女子がこじれてんのは社会の現実がこじれてるからだと思う。

現実社会がこじれてる、ってタイトルだったら本として売れないよねぇ。でも変な女子とか女子の苦痛が見たいから、という人の変な関心も呼び寄せるタイトルな気がどうしてもする。

まみさんは面白い人だからついまみさんに注意を向けてしまうけど、同時にまみさんをこじらせたものを見よということも思う。

セックスワークについてのメモ

セックスワークって差別されまくってることは特殊だけど、基本的にはただの仕事だから他の仕事と同列に考えられるべきだと思う。

セックスワークで起こること、搾取、性差別、性暴力、他の仕事でも他の場所でも起きてるし、スティグマが付与されてるから理不尽や危険が濃縮されてることはあるかも知れんが、善意にしろ悪意にしろ不幸な人間見たがりの人から変な関心のもたれかたしてると思う…

セックスワークについて語る時、どういう語りかたをすれば現実に働いてる人への搾取にならないんだろうね?

田房栄子の男しか行けない場所に女が行ってきました、は論外だった

男しかいけない場所と著者が呼ぶ性産業の世界には(うーん、男性向け性産業の消費者という位置、という意味で男しか行けない場所と言ってるんだろうか?とか忖度してみたが、女が行ってきたって言ってるからやっぱ性産業の現場という意味だよな)女性がいくらでも働いてるというのが著者には見えてないのかしら…インタビューに応じてくれたセックスワーカーの容姿をあげつらったり、無知を心配したり、あれは普通に失礼だったし、消費者に対して

の怒りも、男はこんなことしてるんですよ、というメッセージもよくわかんなかった。性差別とか性暴力について怒る彼女の著作は良いと思うんだけど、セックスワークの中の理不尽さじゃなくてセックスワークそのものに対して怒ってないか?と思って。

なぜセックスワークばかりが望んでやってるのか、とか言われないといけないのか、従事している人は内面にどう言った問題を抱えているからこの仕事についた、とか理由付けしたくなる人がなぜ現れるのか、とか、売る人より買う人やセックスワーク外のセックスワーカーを語る人を分析した方が良いんじゃないかと思うときある。

まとまらん。