夜中の散歩

いじめについて考えている

レッドアンブレラは現在単なる赤い傘と家族に認識されながら実家においてあります

躁転した時のエピソードがフラッシュバックして困る。その他は感情が鈍麻していて泳ぐくらいしか楽しみがない。綺麗なフォームで泳ぐ女の人を追いかけてピッチ上げて泳いでたらすぐばててよろよろになった。
それからくるり聴いてた。
肌がボツボツになっていて体重がいちばんすくなかったときから10キロくらい増えたまま元に戻らない。病気になって思ったけどなかなか体はコントロールできないな。太って実家に帰ってきてしまってしかも病気で、いろいろな不可能が重なっていまはやれてないわけだけども相変わらず風俗で働きたいな

精神科で、風俗で働いた話をしたら躁転だと決めつけられた
躁転でもなんでもいいが病者じゃないとそんなところで働かないという決めつけがあるんじゃないかな
それと病者を病者としか見てないんじゃないんか?
病者にもセックスワーカーにも偏見ない語り方できないもんかね、と怒ったけど言えなかった。
人が職業を選択する時の動機なんて言語化できないものだ、とする中井久夫の言葉が好き

嫌だ〜〜

なんかもうバッドだぜ、バッドなバイブレーションが来ているぜ、とかで終わらせたい
小池百合子とか安倍晋三とか見たくない
見りゃ分かんだろヤバいことくらい、としか言えない
それがわかんない人と話せない
そんなことより早く双極性障害だか薬の副作用に去っていただいて好きな本読んで大学の勉強がしたいよ
世の中って思ったほどちゃんとしてないんだなと思うのに私の方がふざけている
日本みたいなこんな場所にいて真面目にやっている人って真面目じゃないし従順なだけで不真面目なんじゃなかろうかと
政治家のことや国のことなんかしょっちゅう話したくはないけど外圧になられれると人が殺されるから文句は言わないと中学生の頃くらいの自分に、あんた嫌な大人になりましたね、と殴られる。むこうずね蹴られる。

私は創作はできない

何のジャンルであってもずば抜けて一次創作できる人が羨ましい。

桐野夏生さんは小説には書く快楽があるというけど、その感覚を味わってみたい。

読んでばかりで書いたことないし、書けるとも思わない、神様に選ばれている人が書いてる物しか読みたくないから書きたくもないし、書けると思ったら今頃書いてるだろうとっくに。津村記久子とか松浦理英子とかが弱いもの、特に女子への抑圧とかを特別うまく描いているのとか読むと、天才にやらせとこうと思う。

別の人が苦労してやってくれるのは自分でやるより楽だからありがたいのかもしれないし

才能の当事者になりたいというのって馬鹿馬鹿しい願望だからなぁ。

でも一日津村記久子さんになって世の中を見てなにか書いてみたいとかたまに思う。

津村記久子がなんかの小冊子でやってるやり直し世界文学凄く面白い。彼女がよく音楽が恩寵って描いてるのを読むけど私にとっては津村さんの小説がそれなんだす

はよ鬱抜けして薬抜けして躁にもならずに本読めるまで回復したい

デパケン200から100に減らしてもらった

カウンセリング始めてから一回高校の時の嫌な体験のフラッシュバックかあった


太宰は苦手

最近病気のせいで本読むのが苦痛で字が大きくできるからKindle太宰治の全集を読んでいたのだけれどもあんまり面白くなかった。

太宰治が身近にいたら、基本的にはダメ人間の味方なのでそう邪険にもしないかもしれないけど、書いたものは西村賢太とか町田康の現代のダメ男文学の方がハジけてて面白いと思ってしまった。私鬱なの、とか言ってくる情緒不安定な人の話とか聞いててつまんない、機嫌よくいるのは礼儀だ、と保坂和志が書いていたのを読んで、マジで鬱なのでムカついた、言い方が雑だよな保坂和志と思いつつも、だがしかしすごく同意。

ドストエフスキーとか太宰治とか真面目だから苦手…そこ真面目に書く必要あんのかなとか思ってしまって、一応本ガンガン読めた頃があったから読んでやったけど本当はラスコーリニコフの独白とか飛ばしたかった、そして飛ばすとあんま分量ないよ。

お前らエモいんだわ、自分のエモさがそんなに他人にとって重要だと思って生きてる人は作家だろうが普通の人だろうが、窮屈な感じを周囲に与えるし暗い。真面目にやれよ〜と思ってしまった。太宰は自分のことを嗤うけど、内向きだし結局キャラ物みたいになってて重くて、好きな作家が褒めてるとなんかわからんなぁとなって不安になる。私がバカなだけで本当は面白いのかなぁ太宰…

深沢七郎とか山下澄人の小説読みたいなぁと思ってるのだけど、エネルギーが無い。

あの人ら本当にそのへんの生活者の感覚持ってないし変わってるから尊敬する。

カフカとかぎっちょんとか双極性障害で暴れて措置入院になってるうちにアパート引き払われちゃって実家に戻ることになり、引っ越しの過程でおかんがチャリ本に出しちゃったのでした。

本読めない期間になぜか読めたのは重松清だけだった。疾走を凄く早く読み終わったんだけど、プロって文章うまいなと思ったのと、エンタメとしては面白いのかもしれないと思ったけど、レイプされてる女の子の報復をする途中で男の子が死ぬオチなんてベタすぎねえか?エンタメしててつまらなかったから早く読めたのかも

今日はナンバーガールを聴いている。



本を読むことは、ひらくことだ

ぜんぶひらくことかもしれないから、自分だけのものなんかなかなか持てない

なかなか所有はできない、なんだって関係になる、いつか死ぬのだしなにを持ったって借りているだけじゃないか?

大学に来ている意味が全然わからない。

学ぶということの害は減らせるとしても無くせないと思う。せめて役に立つことを覚えて帰りたい、還元したい、私物化したくないし、学をつけるのは、自分の商品価値を高めるためではないはずだった、でもそうなってしまっていて取り返しがつかない、自分の金に取り込まれていなかった領域をついに金に変えてしまった、という後悔。

大学は、排除と簒奪で成り立っている。

リバティをやたら言い立てることに欺瞞を感じる。

誰にとっての自由なのか、誰から奪った自由なのか、ということを考えている人は果たして大学にいるのか?

なんで教授も学生もこんなところで真面目に講義をやれるんだろう、結局のところ真面目じゃないからなんじゃないのか?



授業やってる最中の教授って、対等の誰にも監視されていないんだな、と思ったら怖くなった

閉じられた上下関係の上にいて、なんでもやり放題じゃないか?


出生前診断で子供に障害が見つかったら産むか産まないか考えよう、というテーマで生徒をディスカッションさせて、授業の中で答えを発表せよと言ってくる教授の倫理観はやばい。

コストの問題があるからパートナーにおろさせるという男の生徒の意見とか、予想はしてたけど聞きたくなかった。

どうも身体と心の連結がゆるい、ゆるいようで癒着していて、決して分けられないってどういうことなんだろう

心だけ取り出せないし、体だけしかないわけじゃない気もするが、体だけしかないのかもしれないとも思う

心と体は同じもの、一語にまとめてしまえ、とか言って実験してみると、何も話せなくなるからみんなやってみそ、わたしは無理でした

言語の仕組みと感覚にも当然ながらずれがあるから、

いつも感じているおなじみの感覚すら全然記述なんかできないよ、できたって伝わらない、おそらく、わかる!と思っても幻想でしかない

他人はほんとにわかってるのかもしれないが、それをたしかめることはできない

体はみんなが持ってるから、わかる、という幻想もあるのか、だからこそ、視覚イメージで正確に語って人の頭に再現したりできないんだ

スライムでできたケースの中にスライムでできた丸が入っている、そんな、身体感覚の図を思い浮かべたら、自分でもよくわかんねえ、と頭を抱えた

ケースと丸は完全にはくっつかないけど

いつも溶け合って、交流しながら成分の一部を交換し合ってるんです、とか言っても、わかる?わからん?わかるとかわからんとかわかる?わたしはわからん



わたしが女性身体続けてるのなんか金策と惰性じゃないか、性器なんてあってもなくても良いけど外すのがめんどくさい

女性身体だってことにあんまりアイデンティファイしてない、引き受けないといけない加害者性はたくさんあると思うけど、ほんとにシスジェンダーなのか、とか考えると、よくわからない

マイナーとメジャーならマイナーでいたいからとりあえず女性として暮らすのを選んでる、という気もする

でももっと細分化したらよりマイナーな人はいっぱいいるな

女の子だ、という感じがしないね、と昔からしょっちゅう言われて、男装なんかしたことがないし髪はずっと長かったのに、歩いてたら、知らない人に、まじまじと見つめられて、最初男の子かと思ったと言われたことがあった、

それも複数回、それもスカートはいてるとき

ネットでジェンダーの話をする前は、男だと思ってた、とか言われてた、ボーイッシュと言われることがあって、それも違うだろ。とつっこみをいれている、自分を男性だと思ったことも一回もないし、男集団に紛れて過ごすこともあったけど結局は浮いていたし、服装はガーリッシュだしスカートだし

俺とかあたしとかわたしとか、一人称には変遷があった、何でも良いです、でも一番突っ込まれないのがわたしだからわたしって言ってます、苗字でも名前でも、カタカナのニュアンスで呼び捨てられるのが一番しっくりくる



性器なんかできれば洗って外して置いといて、使う時だけ装着したい、生理とか本当に迷惑でしかない、赤い水なんか出すなよ服が汚れるでしょう、程度のことしか考えてない

これを人に話すと、1パーツ取ったらもう別の人間なんだよ、そんなにフィギュアみたいなわけないじゃん、と言われて、まあそうなんだけど、心だってそうなんだから、やっぱパーツなんじゃないのか、という気にもなる

生理に愛着がないし憎悪もない、身体違和がある人と話すと、すごく噛み合わないのは、

身体を適当に外圧に加工されて良いゴムかなんかだと思ってる時も多いから、あまりこだわれないということが、シスジェンダーだということよりも、性別違和がある人と話してて、すごく共感できない要因として、強い気がする

身体は物だから、比喩にするのは私はちょっと

でも他人がそう感じるなら尊重する



身体由来のわからなさを、


なにも共有できないんだからそんなに怒んないでよ、わかんないものはわかんない、わたしの身体感覚のことだってないがしろにしてきたくせに、あなただってなにもわたしのことなんか知らない、わたしがあなたのことをわからないからといって攻撃性剥き出しにして故意に傷付けて良いのか?



みたいなことをいろんな人に言ったり言われたりした、最近

個体差なんかなければ良いのに、体なんてなければよかった

体があるから話せるし触れるが、永久に隔てられているのも体があるからだ、しょせん

独房暮らし